震災発生から1年が経つ。復興がスムーズに進んでいるか否かはともかく、その議論は盛んになっている。しかし、巷の議論を観察すると、死者・行方不明者約2万人を生んだ震災の実態を押さえていないものがある。

 そこで今回は、震災前から三陸地域を頻繁に訪れ、調査を続けてきた防衛大学校の藤間功司教授を取材することで、復興議論の盲点を浮き彫りにする。


三陸地方の防災体制はレベルが高い?
津波史の中では恵まれていた大震災の被害

(上)藤間教授。津波防災を研究し、国内や海外の津波常襲地帯や被災地を訪ねる。(下)防衛大学校(横須賀市)の正門付近。制服を着た学生たちがキャンパスを歩く姿が目立つ。

「亡くなられた方やご遺族のことを思うと、心が痛む。ただ、あの津波が発生したときの状況は、世界で起きた津波の災害史の中では、恵まれていたと言えるのかもしれない」

 防衛大学校(横須賀市)で津波防災を研究する藤間功司教授は答えた。私が、死者・行方不明者が2万人近くになっている被害の状況をどう捉えるかと尋ねたときだった。藤間氏は、このようなことも補足した。

「私は多大な犠牲が出たことを『仕方がなかった』と肯定するわけではない。しかし、あの規模の地震や津波でありながらも、犠牲者数が2万人ほどで済んだことは、三陸地域の津波防災の体制や自治体の取り組みが相当レベルの高いものであったことを物語っているのだと思う」

 その体制や取り組みについて尋ねると、こう答えた。

「三陸地域には、強固な造りや高さという点では世界有数の堤防や防潮堤がいくつもあった。津波警報も出されていた。そして、県や市町村の自治体は長年にわたり、防災対策を念入りに行なってきた」

 私は、つい聞きたくなった。震災前から、この地域の住民の避難意識には疑問を感じていた。地震からの避難はともかく、津波からの避難は徹底されていたとは思えなかった。そのことを尋ねると、藤間氏はこう答える。