「引きこもりって、万華鏡みたいなものだね。中にある材料はだれもそう変わらない。なのに、回してみると、形がどんどん変わって見える」
日本の若者の雇用状況を取材に来たという英国の国営放送局「BBC」のディレクターは昨日、「引きこもり」の印象について、そう筆者に明かしてくれた。
同じ人間という素材なのに、いろいろな理由がある。
「引きこもる原因の入り口も、その間の対応も、抜け出る出口も、すべて様々。その中でも、これだけ大量に生み出される共通項が“引きこもり”という状態なんです」
そう説明してくれた岩手県宮古市のNPO「みやこ自立サポートセンター」の中村信之事務局長の話を思い出す。
「引きこもり」とは、定義づけやデータで、単純にわかるようなものではない。奥の深い存在であるということを、BBCのディレクター氏も言いたかったのだろう。
英国オックスフォード大学の英語辞書の単語の中にも「hikikomori」が収録されるなど、海外も注目し始めた日本の「引きこもり」。
当連載も、気がつくと、100回目を迎えることになった。
この間、「大人の引きこもり」を巡る様々な声や動き、活動などを筆のおもむくままに取り上げてきた。
筆者が最初に「引きこもり」という表現を知って、メディアで取り上げたのは、97年のこと。当時、この言葉は、社会にほとんど認知されていなかった。
以来、15年にわたり、当初の目的だった取材や、その後のサポート活動という枠を超えて、いまでは個々の当事者や家族たちと様々な形で、つながりを持ち続けている。正直言って、ここまで長い間、「引きこもり」という現象に関わり続けることになるとは、思ってもみなかった。
ずっと逡巡し続けてきたことがある。「引きこもり」と呼ばれることを本人たちはどう思っているのか。この表現を使うことは、新たなレッテル貼りや差別を助長することにつながりはなしないか。そもそも、「引きこもり」とは、いったい何なのか。