
2000年に施行された、地方分権一括法は、国と地方の関係をこれまでの上下・主従関係から、対等・協力関係へと転換するための法律だ。住民に密着した行政サービスが提供できるというメリットの反面、首長が多くの権力を手中にしたことで、数々の問題も散見された。これは、我々に身近な学校や家庭にも共通する問題だという。※本稿は、太田 肇『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
地方分権や支社への権限移譲が
住民や社員に不利益となるリスク
私たちには先入観がある。自分たちの近いところに権限が下りてきて、身近なリーダーが社会や組織を治めるようになることは喜ばしいと受け止め、歓迎する。たとえば政治の世界では国から地方への分権、企業では本社から支社や支店への権限委譲などは民主的な改革だと評価する人が大半だ。
しかしそこには盲点がある。たしかに分権によって大きな権限が手に入り、自身のプレゼンスも高まった首長や支社長・支店長にとっては万々歳だろう。しかし一般の住民や社員にとって、分権が必ずしもプラスになるとはかぎらず、場合によっては逆に不利益になったり、大きなリスクにさらされたりすることになりかねないのである。
そのことを理論的に考えるうえで役に立つのが、社会学者G・ジンメルの唱えたつぎの命題である。
われわれが身をゆだねる圏が狭ければ狭いほど、われわれはそれだけ個性のよりわずかな自由しかもたない。しかしそのかわりにこの圏そのものは個性的なものであり、まさにそれが小さいものであるから、鋭い限界によって他の圏から区別される。
(G・ジンメル『社会分化論 宗教社会学』居安正訳、青木書店、1998年、54頁)
より狭い圏への帰服は一般的には、できるだけ大きな公共のなかの生存よりは個性そのものの存続にとっては有利ではない。
(同前、56頁)
(G・ジンメル『社会分化論 宗教社会学』居安正訳、青木書店、1998年、54頁)
より狭い圏への帰服は一般的には、できるだけ大きな公共のなかの生存よりは個性そのものの存続にとっては有利ではない。
(同前、56頁)