このように見てくると、企業の収益機会が枯渇し、資本の増殖が限界に達しているから金利ゼロが生じているわけではない。

 企業が借金をせずに利潤を上げ、その利潤を内部留保として積み上げ、再投資に回していないから金利ゼロが生じていることがわかる。

 それだけではない。企業や富裕層は稼いだ利潤や所得から税金を支払うことも巧みに逃れている。

 日本の財政が歳出に見合う税収を確保できずに赤字を累増させているのは、高齢化による社会保障費の増加よりも、むしろ持てる企業や富裕層から支払い能力に応じた税金を徴収しない(できない?)からである。

 このようにゼロ金利で苦しんでいるのは「普通の人びと」であり、企業と富裕層を主役とする資本主義は健在である。

 しかも日本の企業はゼロ金利の下で、一貫して労働分配率を引き下げてきた。

 かつての日本的な経営者であれば、経営が苦しいときには損失を、また経営が改善したときには収益を従業員と分け合ったものだが、バブル崩壊以降は損失を押しつけるだけで、収益を(公平に!)分け合うという発想はほとんど見られない。

 いまや経営者にとって賃金は「上げる余裕がないから上げない」のではなく、余裕はあっても「上げなくて済むのなら上げない」という発想が支配的だ。

 働き手も消費者の立場になったなら、一杯300円払ってもいいと思う牛丼が一杯200円で食べられるなら、あえて300円は払わず200円で済ますのは合理的だと思うかもしれない。

 しかし、経営者が働き手に対して月30万円払ってもいいと思う賃金を、月20万円で雇えるなら20万円しか払おうとしなければ、賃金はぎりぎりの水準まで引き下げられてしまう。

“繁栄”を支えているのは
不平等の拡大

「ゼロ金利」で自然に消滅するほど資本主義は脆弱な経済体制ではない。

 実際、資本主義の中心に位置する企業や富裕層はゼロ金利の下でも繁栄を謳歌している。

 ただ、その内情は、かつてのようには市場が伸びなくなり、マクロ的な成長率が停滞する中で、その“繁栄”を支えているのは、1%が裕福になり99%が貧しくなる不平等の拡大であることを見落としてはならない。