深刻さを増す林業の衰退、
救世主「カーボンクレジット」の創出量はわずか2年で約15倍と市場急拡大
日本の林業は深刻な問題を抱えている。森林面積は国土の約3分の2に当たり、人の手で植えた人工林はそのうち約4割を占めるが、その多くが長年適切な管理がされず荒廃しつつあるのだ。
本来、人工林は大きく育った木を伐採した後、次の世代の森を育てるために新しい苗木を植えて手入れするのが基本だ。しかし近年、間伐などの整備が行き届かない森や「木を切って現金化はするが、新しい木は植えずに放置する」ケースが増えている。
間伐や再造林がされずに放棄された森は、土砂崩れリスクの増大や生物多様性の損失、さらに二酸化炭素(CO2)吸収量の減少など、環境への悪影響も大きい。持続的な森林管理の有無が、「森林が持つ環境価値」を左右するのだ。
今回取材した「トキの森プロジェクト」の整備前の森林。木が過密で細く、下層の植生も乏しい
森林が荒廃する主な原因は木材価格が低迷する中、国内林業の生産性が向上せず、林業経営が立ち行かなくなっていることにある。木を売っても次の苗木を植える費用すら賄えない現実があり、さらに後継者不足や林業経営への関心低下も相まって、手入れが行き届かない森林が増えているのだ。
この問題の解決の一助として、国は先行していたオフセット・クレジット(J-VER)制度や国内クレジット制度を統合し、J-クレジット制度を2013年に設置。制度内に、森林を整備することによって増加するCO2吸収量をカーボンクレジットとして売買できる「森林吸収系J-クレジット(通称:森林クレジット)」の仕組みがある。
この森林クレジットの創出量は、22年度の約5万t-CO2から、23年度に45万t-CO2、24年度に77万t-CO2とわずか2年で約15倍に増加。創出したクレジットの販売収益を森林整備の資金源の一部にできる仕組みが、日本の林業経営に欠かせない選択肢となりつつある。
住友林業は24年、森林クレジットを創出する林業事業者をサポートしつつ、クレジットを購入したい企業・団体とのマッチングを行うプラットフォームサービス「森かち」をリリースした。同サービスの真価と、利用者の動機やメリットとはーー。
25年に「森かち」を通じて森林クレジットを販売した新潟県農林公社林政部部長の五十嵐勝幸氏、森林クレジットを購入した有沢製作所上席執行役員の田邉崇人氏、「森かち」を運営する住友林業資源環境事業本部森林技術部リーダーの曽根佑太氏の3人に話を聞いた。
「カーボンニュートラルを達成しない企業はもう選ばれない」
2030年までの達成と県内の森林整備貢献を目的に森林クレジットを購入
――有沢製作所が新潟県農林公社の森林クレジットを購入した理由を教えてください。
田邉 20年10月に、30年度にカーボンニュートラルを達成するという目標を立て、カーボンニュートラル・プロジェクトを発足させました。そのきっかけは当社製品の主要顧客である海外企業が、RE100(企業が事業活動で使用するエネルギーを50年までに100%再生可能エネルギーで賄うことを目指す国際的なイニシアチブ)を30年までに達成すると宣言したことにあります。
将来的にサプライチェーン全体を含んでいくことが言及されており、当社もその対象に含まれることになります。つまり、カーボンニュートラルを達成しない企業は取引先として選ばれなくなる可能性がある。その危機感から思い切って当社も同じ目標を掲げました。
有沢製作所 上席執行役員 生産本部 副本部長 生産技術部 部長田邉崇人 氏
現在、当社の売り上げの6割をスマートフォンやパソコン、カメラなどの電子機器に使用される電子材料が占めています。製造プロセスで使用するエネルギーの47%を都市ガスが占めており、これらを現段階で全て再生可能エネルギーへ置き換えることは技術的に困難です。そのため、最大限の削減努力を行った上で、なお残存する排出量についてカーボンオフセットを採用することになりました。
できることなら地元に還元できる、より納得感のある方法でのオフセットを望んでいたところ、同じ新潟県内の佐渡市の森林クレジットがあることを知りました。25年9月に当社の研究開発拠点として上越市に新設したARISAWA Innovation Centerの設立式典運営のオフセットとして、20t-CO2分を購入しました。
有沢製作所の新たな研究開発拠点、ARISAWA Innovation Center。冬に集めた雪から冷熱を蓄え、夏の冷房に活用するための装置としての大きな柱など、最大限環境に配慮した設計となっている
――新潟県の佐渡地域で取り組まれている「トキの森プロジェクト」のクレジットですね。新潟県農林公社はどういった経緯でこのクレジットを作られましたか。
五十嵐 新潟県農林公社は新潟県内の農林業振興を担う公益社団法人です。具体的には、経営改善や担い手対策、森林の造成や環境保全といった事業を行っています。
新潟県内には約16万haの人工林があり、そのうち約1万haを新潟県農林公社が管理しています。土地所有者から分収林という形で土地の提供を受けて植林・保育をし、伐採収益を分け合うこととしています。木材価格の低迷や間伐材の搬出コスト上昇などにより、間伐材の販売収益だけで必要な森林整備を行うのが難しくなってきているため、カーボンクレジットの販売で得た資金を活用しています。
トキの生息地を造るために森林を整備
CO2吸収と良質な木材育成にも好影響
五十嵐 日本国内の野生のトキは一度絶滅しましたが、人工繁殖したトキを08年から佐渡島で放鳥し、現在では野生下で約570羽のトキが生息しています。
野生下での繁殖に成功し、佐渡地域で生息しているトキ
新潟県農林公社は09年に国の認証を受けた新潟県J-VER制度や新潟県版J-クレジット制度にトキの森プロジェクトを登録し、そこで得た収益も活用しながら間伐や木の生育を妨げる竹林除去などの森林整備を行ってきました。トキの森プロジェクトでは、トキが放鳥された佐渡地域の森林で創出したクレジットを販売しています。
新潟県農林公社 林政部 部長五十嵐勝幸 氏
翼を広げると140cmもあるトキは密になった林の中では飛べません。そこで、間伐などで空間を確保するとトキの生息に良い環境が生まれます。また、間伐によって光が差し込む明るい森を造ることで、豊かな生態系を取り戻すことができます。森林の成長を促すことでCO2吸収量を増やし、良質な木材を育て林業を活性化させるこのプロジェクトに、多くの方に賛同いただいています。
田邉 やはり「トキの森を再生する」というのはパワーワードでしたね。地球全体の温暖化対策を考えればボランタリークレジットでもよいのですが、新潟県という地域に密着した企業として、地産地消のクレジットはとても魅力的です。希少生物のすみかを守り、日本の森を再生し、地域の産業にも貢献できる、その資金になるという点で、森林クレジットはとても分かりやすいですし、顧客、地域社会、株主などステークホルダーにも賛同を頂きやすいです。
創出・審査・購入、3者の課題を解決
森林クレジット取引を活発化するプラットフォーム
――住友林業が「森かち」を作った理由を教えてください。
曽根 木材の価格が低迷する中で、森林クレジットは森林を維持管理していく資金を得られる非常に有用な制度です。しかし、このマーケットが活発化しているかといえば、まだまだです。
クレジットを作って販売する創出者、クレジットの審査機関、そして購入者、それぞれに課題を抱えているので、それをできる限り解消し、活発化するために、当社とNTTドコモビジネスが共同で作り、24年8月に提供を開始したプラットフォームが「森かち」です。
住友林業 資源環境事業本部 森林技術部 森林ソリューショングループ リーダー曽根佑太 氏
――創出者、審査機関、購入者のどのような課題を解消するのでしょうか。
曽根 まずは創出者の登録にかかる負担を軽減します。森林クレジットは仕組みが複雑なため、申請書類の作成が非常に大変で、長いと半年ほど時間がかかることもあります。
「森かち」を利用すれば、自動入力や入力ガイドも備わっており、申請書類の作成の労力と時間が大幅に減少します。
そして、審査機関の負担も劇的に軽減します。さまざまなデータを書類と図面で把握して審査することは非常に大きな負担でした。
「森かち」はGIS(地理情報システム)と連動しており、審査機関はデジタル化されたデータとGISの位置情報を突き合わせてオンラインを活用した審査をすることが可能になりました。今、森林クレジットの申請数は急増しており、審査が追い付いていないような状態ですので、この負担軽減は審査数を増やし、クレジットの登録数を増やすことにもつながります。
GISによって、購入者も、どこの森林で創出されたクレジットなのかが分かりやすく、選びやすい。画像は、デモ画面
購入者側はクレジットを選びやすくなります。これまで森林クレジットの購入に当たっては、制度事務局のサイトにある申請書類の閲覧のみでの判断が一般的でした。「森かち」では、どんな森なのか、資金はどのように使われるのかなどがよく分かり、「このプロジェクトを支援したい」という思いで判断しやすいプラットフォームになっています。
「森かち」に掲載されている「トキの森プロジェクト」の販売ページ。全てのプロジェクトにプロのライターが作成した紹介ページが公開されており、プロジェクトの意図やクレジットの特色がよく分かる
五十嵐 トキの森プロジェクトの森林クレジットは09年に販売を開始し、さまざまな企業にダイレクトメールを送ったり、イベントでPRをしたりと、地道な営業活動をしていたのですが、クレジットの仕組みや魅力を伝えるのは簡単ではなく、販売量がなかなか伸びてこなかったのが現実でした。
「森かち」で有沢製作所さんのように今まで全くつながりのなかった企業にアプローチできることはとてもありがたいですね。新潟県には整備を必要としている森林が多くあり、次の森林クレジットを創出するプロジェクトも今、進行しています。
トキの森プロジェクトで得た資金などを活用して整備した森林。間伐することで森林の健全な成長を促し、森の長期的なCO2吸収量が増加する
クレジットのポートフォリオが企業価値に影響
森林クレジット売買の活性化で日本全体のカーボンオフセットへ
田邉 当社のように事業に必ずエネルギーを使う企業にとって、今後カーボンオフセットをするためにクレジットを購入することは一般化してくると思いますが、将来的には、どういうクレジットを購入しているのかということも見られるようになると思います。
当社もクレジットのポートフォリオを常に見直していくつもりです。全量ではなくとも、森林クレジットのように国土保全と地域経済の活性化につながるようなクレジットに投資していることが、企業価値の向上につながるのではないでしょうか。当社も地元である上越地方の森林クレジットができればぜひ購入を検討したいですし、そのように考える企業は全国に多くあると思います。

曽根 私たちもそう考えています。地域を限定して購入される企業も多いので、まずは日本全国の都道府県からクレジットが出品されている状態に持っていきたいですね。
より多くの日本企業のクレジットによって日本の荒廃した放置林が再生され、全国の林業、製材業、建設業が皆きちんと成り立つ。そして木材の自給率が上がり、日本全体のカーボンオフセットにも近づいていく。そうしたプラットフォームにしていきたいと思っています。
