ダイソー、利益1円でもメーカーが日参する「規模の力」の凄まじさPhoto by Tomomi Matsuno

行き当たりばったりで「100円均一」誕生

 起業家というと、世の中にある問題を解決するためにビジネスモデルを練りに練り、満を持して世に問うという偉い人もいるが、私の場合はそうではない。自分で道を選ぶというより「仕方がない」という選択から目の前の仕事を必死に頑張り、行き当たりばったりでここまで来た。

 2トントラックに商品を積み込み、日替わりの場所で露店を開き、売る。1972年に夫婦で始めた「矢野商店」は、そんな吹けば飛ぶような商売だった。移動販売なので、現場に着いたらまず売り場を設営する。売り場といってもビールケースの上にベニヤ板を広げて、そこに商品を並べるだけだ。

“その日”は雨上がりのために開店準備が遅れ、段ボールから商品を出している最中にお客さまが集まってきた。値札を付け、商品を並べる前に、勝手にお客さまが段ボールを開け始める。

「これナンボ?」「これは?」とせっつかれ、仕入伝票と値段を突き合わせるのが間に合わず、面倒になって、思わず「全部100円でええよ」と答えてしまったのが、100円ショップの誕生の瞬間である。このことは連載第1回でも書いた。

 偶然とはいえ、これが私の人生を変えたわけだ。つくづく人生とは運に支配されているものだと感じる。

 トラックでの移動販売を始めた際、夫婦で年商1億円を目標に掲げた。自分は親が医者だったので、子どもの頃「父は医者だ」と言えたが、自分の子は親の職業欄に「露店商」と書かなければならなくなる。しかし露店商であっても、年商1億円の会社の経営者なら子どもも胸を張って生きていけるはずだ。