海軍軍医が考案した国民的グルメ、カレーライス誕生秘話

病気の背景まで
網羅的に診よ

 日本人の国民食、カレーライス――。

 そのルーツが海軍であり、明治時代から食されるようになったことはかなり知られているが、脚気(かっけ)予防のための健康食として、一人の海軍軍医が考案した事実は、案外知られていない。

 軍医の名は、高木兼寛(たかき・かねひろ)。東京慈恵会医科大学の創設者である。まだ、世界中のどこにも「食事で病気を予防する」という発想が浸透していなかった時代、彼はどうやって「カレーライスを食べれば脚気にならない」などという先進的な確信にたどり着いたのか。考察してみたい。

 脚気は江戸時代には「江戸患い」と呼ばれ、明治・大正時代には結核と並ぶ「2大国民病」と称されるほどポピュラーな病気だった。昭和の初めごろまでは毎年1万人以上もの人が、この病気で亡くなっていたし、現在でも、偏った食生活をしている若者を中心に脚気、あるいは脚気の予備群が存在しているといわれている。

 中でも海軍・陸軍軍人の罹患(りかん)率は高く、病死の最大の要因になっていた。その理由は明白だ。脚気の原因はビタミンB1の不足だが、当時の日本軍は、軍の特権として白米食が提供されていたため、玄米・麦飯等が主食の一般人に比べ、ビタミンB1やタンパク質が大幅に不足していたのである。

 高木は、嘉永2年(1849年)、現在の宮崎市高岡町穆佐(むかさ)に郷士の長男として生まれた。貧富の別なく診療にあたり高潔な人格者として讃えられていた穆佐の医師・黒木了輔に憧れ、医学の道に進むことを決意。18歳で鹿児島の医学校に入学し、戊辰戦争の際には薩摩藩兵の軍医として従軍。明治8年(1875年)には、海軍軍医学校の師であるウィリアム・アンダーソンの勧めで、英国ロンドンの聖トーマス病院医学校(現キングス・カレッジ・ロンドン)に留学する。