グーグル、マッキンゼー、リクルート、楽天など12回の転職を重ね、「AI以後」「人生100年時代」の働き方を先駆けて実践する尾原和啓氏。その圧倒的な経験の全てを込めた新刊、『どこでも誰とでも働ける』が発売直後から大きな話題となっています。同書の刊行を記念しておこなわれた、新しい働き方についてのトークセッションの模様をお届けする記事の第2回をお届けします。

当日お集まりいただいたのは、プロノバ代表取締役社長の岡島悦子(@mayokajima)氏、株式会社ほぼ日取締役CFOの篠田真貴子(@hoshina_shinoda)氏、元コロプラ副社長で投資家の千葉功太郎(@chibakotaro)氏、ヤフーのCMO(チーフモバイルオフィサー)からLinkedin日本代表に転身された村上臣(@phreaky)氏です。

岡島氏と篠田氏はマッキンゼーつながり、千葉氏と村上氏は日本のモバイルインターネットの黎明期からの盟友で、尾原氏を含めて登壇者が全員モデレーター上手というトークセッションはおおいに盛り上がりました。(構成:田中幸宏)

0から1を生み出す場所だけは、ネット時代でも情報格差がなくならない

村上 尾原さんの話も気になるよね。12回も転職しているでしょ。

尾原 ぼくは新人時代を11回経験しているんです、転職すると毎回新人だから。なんで毎回新人をやるようになったかというと、千葉ちゃんとまったく逆で、インターネットのせいで東京に出て来ざるを得なくなったんですよ。ぼくは学生時代に中古車のブローカーとかをやっていて、年収600万円くらいあったんです。ちょうどバブルの頃で、シャンデリアがついている超豪華なバスが流行っていたんですけど、車検で10年落ちで廃車にしちゃう。だって、シャンデリア付きのバスなんか誰も中古で買ってくれないから。でも、廃車にするとコストがかかる。そこで「ぼくにタダでください」と言ったわけです。

 ぼくは工学部の学生でした。工学部だと研究室にアジアからの留学生がいっぱいいて、だいたい親はお金持ちです。で、アジアのお金持ちはだいたい貿易をやっているんです。だから親に電話して「こんなにいいバスがあるからほしくないか」と聞いてもらったわけです。

岡島 シャンデリアほしくないかと(笑)。

尾原 すると、1台現地に持っていくだけで、50、60万円儲けが出たんです。こんなに楽な商売はないということで、卒業後は地方公務員にでもなって、9時~17時の生活をして、17時以降は中古車の売買とかをやっていれば、一生安泰じゃないかと思っていました。

 ところが、工学部の研究室にインターネットが来て、すぐにこれはヤバイと気づいたわけです。何がヤバイかというと、距離を越えて情報が一瞬で伝わるようになると、ぼくがバスを0円で仕入れていることを、アジアのお金持ちもやがて知るようになる。そうすると、「仕入れが0円なら、儲けは10万円で十分だろ」という話になって儲からなくなります。

 ぼくは何かを生み出していたわけではなく、こっちとあっちの価格差を利用して儲けるブローカーにすぎません。インターネットによって情報の非対称性がなくなると、1のものを10で売るブローカーの仕事は成り立たない。そんな時代でも、0から1を生み出すところだけは、つねに情報の差分が生まれます。ところが、0→1が生まれる場所は、残念ながら大阪にはあまりなくて、0→1が生まれるのはインターネットの世界であり、それはやっぱり東京なんですよね。それで、しょうがないなあと思って東京に出てきたわけです。

 東京で0→1をいっぱい学べる場所はどこなんだろうと思っていたら、「マッキンゼーという会社がいろんな会社の0→1をやっているらしい」と聞いたので、面接で阪神・淡路大震災のボランティア体験を熱く語ったら、相手も情にほだされて、こんな人間でも受け入れてくれました。

千葉  じゃあブランドで行ったわけじゃないんですね。やりたいことをやるために、ロジックを積み上げて。

篠田 0→1ね。

尾原 そうです、0→1をつくるため。でも、ありがたいのは、村上さんにしても千葉ちゃんにしても、0→1をやるときに出会った人間が、25年後もこうやって集まってくれて、千葉ちゃんはドローンの最先端で0→1をやっているし、村上さんも日本の中でようやく個人が会社と対等な立場で転職を考えるLinkedInで0→1をやっているし。

村上 モバイルでやるべきことがなくなっちゃったわけです。全部見たい景色になっちゃったから。

千葉 もう0→1は終わったんですよね。

尾原 結局、0→1をやる人間を最初につかまえるのが、ブローカーとしてはいちばんおいしいわけです。

「誰もがプロフェッショナルにならなければならない」の本当の意味<br />左から、村上臣氏、千葉功太郎氏、篠田真貴子氏、岡島悦子氏、尾原和啓氏 (撮影:Mitsuo Yoshizawa)

KPIをポンポン打ち返しているうちに、エッジがとれてつまらない人間に

村上 個人が会社とフラットな関係でつながる(リンクする)という意味では、尾原さんの本でも触れられていますが、糸井重里さん(@itoi_shigesato)の『インターネット的』(PHP研究所)に出てきた3原則が思い浮かびます。

尾原 「リンク」「フラット」「シェア」ですね。

篠田 あの本が出たのは2001年。いま「リンク」「フラット」「シェア」と聞いても、みんな当たり前と思うかもしれないけど、当時はその真逆だったと思うと、その差に驚きます。「リンク」というのは双方向の網の目でしょ。でも、当時は情報の経路が上流から下流へ一方的に流れる、いわゆる大企業のイメージしかなかった。「フラット」の反対は「ヒエラルキー」で、「シェア」の反対は「囲い込み」ですよ。2000年前後の一般社会では、それがふつうでした。

村上 大企業の正しい戦略は、顧客を囲い込んで……。

篠田 情報も、上司から来たものを顧客に流すだけ。上流過程の部署から来た情報を自分で加工して下に流す。

村上 口コミなんてなかったですからね。

千葉 情報を制して社内政治を動かすみたいな。

岡島 だからこそ、インターネットは革命的なんです。パワーの源泉が変わって、意思決定の仕組みも変わっていくわけじゃないですか。だけど、大企業は既存の枠組みから出られなかったから、「インターネットがすごい!」「これからはリンクとフラットとシェアの時代だ!」と言われても、全然ピンと来なかった。

尾原 新しいことを最前線でやろうと思ったら、それこそ千葉ちゃんみたいに、外に飛び出してアウトローでやるしかなかったわけです。

篠田 当時は、いわゆる大企業で働けない人は社会不適合のレッテルを貼られた。でも、いまは、千葉さんみたいな若者が新入社員で入ってくると、けっこう喜ばれる世の中になった。

尾原 新しいものを持ち込んでくれ、というふうに変わったから。

村上 そのへん、どうですか? いまの採用事情の本音では?

岡島 う〜ん、それがちょっと難しくて……。若い人は新しいことをやりたいと思って入ってくるんだけど、経営者が「こいつ、おもしろい!」と言ってくれる会社じゃないと、だんだん既存の仕組みに過剰適応していくわけです。それこそリクルートに入るような尖った人たちでも、型を覚えて、KPI(重要業績評価指標)を卓球のようにポンポン打ち返しているうちに、おもしろさのエッジがとれてきてしまう。そういう人が社内評価される仕組みだと、入ってきたときはおもしろくても、だんだん潰されるというか、つまらない人間になっちゃうのね。

村上 型にはまるスピードが昔より早くなっている気がするんです。1、2年でバッと適応しちゃう。

岡島 でも経営者は、型にはまっていないおもしろい人がほしいわけ。だから、指名委員会とか役員人事の話をしていると、「こいつ、めっちゃおもしろいんだよね、という人間はどこにいるんだ?」という話になるわけです。

村上 ぼくはオープンイノベーションをやっていた関係で、他の企業さんから「うちの社内でもどうやったら新しいことを生み出せるようになるのか」と相談を受けることがあって、「どんどん若者にやらせて、ちゃんと話を聞けばいいんですよ」と答えたんです。そこで、「どんどんやってみろ」「まだ誰もやったことのないアイデアを持ってこい」と言われた若い人たちが奮起して、自分たちで事業プランを競い合うピッチコンテストもやって、「できました!」と役員連中にプレゼンしたら、「前例はあるのか?」と聞かれたって言うんですよ。あるわけないでしょ、新しいんだから(笑)。

岡島 完全に質問が間違っているよね(笑)。やっぱりイケてる会社は、だんだんKPIを重視しなくなっているし、年功序列が必ずしもよくないって思っている。若者のほうが新しい視点を持っていると思える経営者がいればいいんだけど、そうじゃないと、みんな過剰適応してつまらなくなっちゃう。

赤マフラーは「正義の味方であれ」という自分なりの宣言

篠田 話は変わるけど、尾原さんの本に書いてあったことで、すごく聞きたいことがあって。これからプロフェッショナルの時代ですよ、という話があったじゃないですか。

村上 プロフェッショナルの語源がプロフェス(公言する)だとありましたね。

尾原 マッキンゼーには横山禎徳さんというコンサルタントの師匠がいて、プレゼン資料をつくらないんですよ。何をするかというと、お客さんの前で「なんかこういう角度で考えられるんだよなー」とか、「こういうことが言えるんだよなー」とずっと言い続けるだけなんです。でもそうすると、お客さんの中で突然、これとあれとそれが結びついて「これだ!」と答えが見つかる瞬間が来るわけです。

 マッキンゼーはすごくいい提案書を出すんです。でも、それって他人から教わったものにすぎないから、実行しようとすると社内で反発が起きやすい。ところが、横山さんの場合は、答えを思いつくのは自分たちなので、思いついた人が自分で手を挙げてどんどんやるから成果も出るわけです。そういう化け物みたいな方が、新人時代のぼくらに最初に言ったのが、「お前ら、マッキンゼーでプロフェッショナルになれ」ということでした。

篠田 本人を知らないと、おもしろくない(笑)。

千葉 誰にもわからないモノマネ(笑)。

尾原 横山さんが言うには、プロフェッショナルというのはもともとお医者さんと裁判官にしか認められていない。なぜかというと、この2つの職業だけが人の命を取り扱うからで、本来、神様だけに許された「人の命を扱う」ことを職業にするにあたって、神様に誓いを立てることを「プロフェス(公言する)」というんです。「じゃあ、お前らはプロフェッショナルとして、何の神様に誓うんだ」と聞くわけです。コンサルタントという職業も会社の命を預かる職業です。従業員の命、従業員の家族の命を預かるときに、何の神様に誓いを立てるのか。「残念ながら、お前らには神様なんかいないんだよ」というのが横山さんの教えでした。

村上 途中からモノマネになってる(笑)。

尾原 つまり、自分の中に神様をつくって、自分で自分に誓いを立てるしかないということです。だからぼくは、「お客さんからもらったお金の10倍以上の利益で返さないと仕事をしたことにならない」と自分で勝手に誓いを立てて、自分のコンサルタントとしての定義を全うしてきたわけです。ぼくがいつも赤マフラーを着けているのは、赤マフラーは正義の味方の証だと思っているからです。

村上 プロフェスしているわけですね。

尾原 そうです。ぼくはたまたま最初に入った会社でプロフェッショナルとは何かを学ぶことができたけれど、いまは、誰もが「自分の人生を自分で決めなければいけない」時代です。昔は生まれた瞬間に、鍛冶屋の息子は鍛冶屋になるしかなかったし、漁師の息子は漁師になるしかなかった。職業選択の自由ができてからは、東大に入ったり、三菱商事に入ったりして、入った大学や会社が自分の人生を決めてくれました。でも、いまは会社が一生面倒見てくれるわけじゃないし、いまの仕事が10年後も残っているかどうかもわからない。AIやロボットに取って代わられるかもしれないから。そういう時代に、自分の人生を決められるのは、もう自分しかいないんですよ。「誰もがプロフェッショナルにならなければならない」というのは、そういうことです。
(第3回へ続く)

村上臣(むらかみ・しん)
大学在学中に仲間とともに有限会社「電脳隊」を設立。その後統合したピー・アイ・エムとヤフーの合併に伴い、2000年8月にヤフーに入社。一度退職した後、2012年4月からヤフーの執行役員兼CMOとして、モバイル事業の企画戦略を担当。2017年11月にLinkedinの日本代表に就任。複数のスタートアップの戦略・技術顧問を務めている。
千葉功太郎(ちば・こうたろう)
個人適格機関投資家・慶應義塾大学SFC研究所上席所員。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、株式会社リクルート(現 株式会社リクルートホールディングス)に入社。2000年より株式会社サイバードでエヴァンジェリスト。2001年に株式会社ケイ・ラボラトリー(現 KLab株式会社)取締役就任。2009年株式会社コロプラに参画、同年12月に取締役副社長に就任。採用や人材育成などの人事領域を管掌し、2012年東証マザーズIPO、2014年東証一部上場後、2016年7月退任。 現在、慶應義塾大学SFC研究所ドローン社会共創コンソーシアム上席所員、株式会社The Ryokan TokyoのCEO、国内外インターネット業界のエンジェル投資家、リアルテックファンド クリエイティブマネージャー、Drone Fund General Partner を務める。
篠田真貴子(しのだ・まきこ)
1968年生まれ。慶應義塾大学卒業後、日本長期信用銀行(現・新生銀行)に。ペンシルバニア大学ウォートン校でMBA、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係論修士学位を取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。ノバルティスファーマを経て、2008年、東京糸井重里事務所(現・ほぼ日)に入社し、翌年より現職。
岡島悦子(おかじま・えつこ)
1966年生まれ。筑波大学卒業後、三菱商事に。ハーバード大学経営大学院でMBA取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに転職。グロービス・マネジメント・バンク事業を立ち上げ、代表取締役に就任。2007年、「日本に“経営のプロ”を増やす」を掲げ、プロノバ設立。アステラス製薬、丸井グループ、リンクアンドモチベーションなどの社外取締役も務める。

尾原和啓(おばら・かずひろ)
1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用人工知能論講座修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab、取締役)、コーポレイトディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Google、楽天(執行役員)、Fringe81(執行役員)の事業企画、投資、新規事業などの要職を歴任。現職の藤原投資顧問は13職目になる。ボランティアで「TEDカンファレンス」の日本オーディション、「Burning Japan」に従事するなど、西海岸文化事情にも詳しい。著書に『ITビジネスの原理』『ザ・プラットフォーム』(NHK出版)、『モチベーション革命』(幻冬舎)などがある。