書籍『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』の刊行を機に、さまざまな実務家やアカデミアの皆さんと、著者・朝倉祐介さんとの対談をお送りしています。今回は、オンライン学習サービス「スタディサプリ」の生みの親で、リクルートマーケテイングパートナーズ社長の山口文洋さんをお迎えし、成長する新規事業をうみだすうえで大切な考え方や組織のあり方について伺っていきます。(撮影:野中麻実子)

成熟市場のビジネスで
中長期の見通し方を学んだ

朝倉祐介さん(以下、朝倉) リクルートの「ゼクシィ」「R25」など多くのビジネスを生み出してきた新規事業コンテスト「New RING」において、山口さんもオンライン学習サービス「スタディサプリ(旧受験サプリ)」でグランプリを獲得し、事業化から7年目で有料会員数は約56万人まで拡大しています。それ以前は、どんな仕事の担当だったんですか。

「スタディサプリ」の生みの親が語る 事業を生み出せる組織の風土と考え方<br />山口文洋(やまぐち・ふみひろ)
リクルート マーケティング パートナーズ代表取締役社長
ITベンチャーなどを経て、2006年リクルート入社。12年メディアプロデュース統括部長、13年ネットビジネス本部本部長、15年4月より現職。

山口文洋さん(以下、山口) 「スタディサプリ」の提案でグランプリを獲ったのは、リクルート入社5年目だったのですが、それまでは、大学専門学校の情報をネットとマガジンで高校生に届けるメディア事業の部門で、管理会計関連をやっていました。ただ、その部署において、3~4年目には、戦略策定にも携わるようになったんです。
 その事業は成熟市場で、週次や月次でなく、年度ごとにビジネスがゆっくり動く業界でした。また、一度しゃがんで大きくジャンプするような戦略を描く必要があったので、単年度よりも常に3~5年単位という中長期で投資リターンを考えていました。そういう思考訓練をしたうえで、スタディサプリのようなより志に根ざした事業との出会いがあり、運と縁の助けもあって社会に大きなインパクトを打ち出すスタートが切れたと思います。

朝倉 以前のお仕事とスタディサプリとでは、「学び」という切り口は同じですが、仕上がったビジネスを効率的に運営する仕事から一転、まったく新しいビジネスを切り開くことに挑戦されました。ギャップはありませんでしたか。

山口 たしかに、既存事業の場合は、過去数十年という積み上げがありますし、景気変動が少ないビジネスであれば、過去からのトレンドで蓋然性高く1~3年後を見通せます。でも、新規事業だと、世の中のトレンドを作るのに、どれぐらいの発射角度で成長していけるか、それなりにシミュレーションはしてみるものの想定通りいくことは少なく、その難しさは感じますね。

提供価値に優位性が
あるかどうかが大事だ

朝倉 スタディサプリは月額980円と、充実したコンテンツに対して驚くほど手頃な、衝撃的なプライシングで発売されましたよね。マーケットをつくるというのはこういうことかと思いました。既存事業をうまくオペレーションするのとはまったく違います。過去の経験が邪魔になったことはありませんか。

山口 以前の担当事業は成熟した市場でかつ破壊的な競合企業の登場によって縮小傾向にあり、そもそも成功体験がなかったんです。だから、どうすればフォロワーでも既存領域のビジネスモデルを破壊できるのか、常に考えていました。
 当時、書籍『イノベーションのジレンマ 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』(クレイトン・クリステンセン著、玉田俊平太監修、翔泳社)や『ブルーオーシャン戦略』(W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著、入山章栄監修、ダイヤモンド社)などがバズワードとして流行っていたこともあって、どうすればフォロワーながら既存領域のビジネスモデルを破壊できるのか、好奇心も含めて常に考えていました。自分たちを苦しめているようなディスラプター(破壊者)になりたい、と思っていたんです。

「スタディサプリ」の生みの親が語る 事業を生み出せる組織の風土と考え方<br />朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)さん
シニフィアン株式会社共同代表
マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、大学在学中に設立したスタートアップに復帰、代表に就任。ミクシィへの売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。2017年より現任。

朝倉 満を持しての事業立ち上げだったんですね。スタディサプリにしろ、買収した米国の求人検索エンジン「インディード」にしろ、過去にはグルーポンもそうですが、リクルートは既存事業とカニバリゼーション(共食い)しかねない事業にもいち早く乗り出すのがすごい。なかなかできないことです。

山口 僕たちにとって大切なイシューは「提供価値」なんです。圧倒的な競争優位性を持ち、参入障壁を永続的に築き続けることができるか。売り上げや利益を上げると同時に、提供価値に優位性があるかが重要です。それが実現できれば、おのずと収益は取れる。
 逆に、価値が毀損しているなら、一時的に業績が悪化しても追加投資すべきだし、提供中の価値を代替できるイノベーティブな価値が他にあり得るなら、短中期的にグループ内でカニバっても自分たちでやるべき。根本に、そういう思想があります。スタディサプリの場合も「良い教育を、公共料金並みに、いつでもどこでも安価に受けられる」という圧倒的な提供価値でイノベーションを起こしたかった。だから一気にコンテンツへの投資をして、有名講師による授業動画を仕込みました。今では、小学校4年生から大学受験生までを対象とした、4万本、1万5000時間分がそろっています。

朝倉 提供価値を中心に考えることが文化として根付いているんですね。

山口 失敗や挫折を含め、社内に多くの事例がありますからね。築き上げてきた価値にこだわり過ぎ、新たな価値創出の可能性に気付いた競合の進出を見過ごした例もあるんです。二度と繰り返してはいけないという経営陣の強い思いから、社内研修でも取り上げられます。