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3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

家族を苦しめる心のケアに何の意味があるの?
息子を自殺で失った母が震災遺族を支え続ける理由

――「つむぎの会」代表・田中幸子氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第13回】 2012年5月15日
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 6年前、愛しい息子を自殺で失い、今は震災で家族を亡くした遺族たちを支えようとする遺族がいる。亡き息子への思いを秘めて、今被災地を動き回る。そんな女性に取材を試みた。


「卑怯者」と言われても、
息子には津波から逃げて欲しかった

「藍(あい)の会」代表の田中幸子さん。事務所は、仙台市の中心部のビルの一室にある。被災遺族などのために、「つむぎの会」を立ち上げた。

 「わかるんですよ。遺族の思いが……。以前、私が長男の死に苦しみ抜いたから。息子の嫁に、殺したいほどの憎しみを持ったこともあります。包丁をといだこともある(苦笑)。だけど、そこからは何も生まれない。自分と向かい合っていないから……」

 仙台市を拠点に、自死遺族の集いを催す「藍(あい)の会」代表の田中幸子さんは、淡々と話す。6年前、警察官だった長男が自ら死を遂げた。結婚し、子ども(田中さんの孫)もいた。

 一時は、後を追いたいと思った。自殺未遂を2度繰り返した。様々な偏見で苦しむこともあった。「自死ということで、役所などからも蔑まれることがあった。それは、息子を否定することにもなる。母親として、引き下がることができなかった」

 これらの経験をきっかけに会を立ち上げ、自らの年金や講演料などを運営資金にし、全国数千人の自死遺族と接してきた。昨年3月の震災発生以降は、知人などから「震災遺族のために、こうした会を設けることができないか」などと頼まれるようになった。

 当初、ためらうものがあった。仙台市内に夫、息子(次男)と3人で暮らしてはいるが、震災の被害はほとんど受けていない。それだけに、「遺族への関わり方が一部の支援者のような、上から目線になるように思った」と打ち明ける。

 その頃、石巻市に住む遺族から電話をもらった。震災で警察官の息子を亡くした、50代の母親だった。

 「卑怯者と言われても、息子には津波から逃げて欲しかった。『お母さんが守ってあげるから』と言ってやりたかった」

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

東日本大震災からもう1年が経とうとしている。人々の記憶も薄らぎ始めた。しかし、国の復興対策はなかなか進まず、被災者・遺族の心の傷も癒えない。3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。遺族、医師、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを取材し続けた筆者が、様々な立場から語られる悲劇の真相を改めて炙り出す。

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