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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

【新連載】
アイドルからクラシック・クロスオーバーまで
ポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた20年

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第1回】 2012年5月18日
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清冽な歌唱の記録を残して本田美奈子.さんが亡くなったのは2005年11月6日である。38歳だった。日本のポピュラー音楽、そして音楽ビジネスの100年をたどるために資料をたどっていたとき、彼女の歌手人生の航跡に出会った。アイドル歌手としてデビューしたのが1985年、急性骨髄性白血病で急死したのが2005年、ちょうど20年の歌手人生である。

日本のポピュラー音楽100年を
20年で駆け抜ける

 100年のうちの20年。アイドル・ポップス、ロックバンド、ミュージカル、そしてクラシック・クロスオーバーへ、これほど多様なポピュラー音楽の稜線を20年間で駆け抜けた歌手はほかにいない。

 ポップスは多様で複雑だ。膨大な歌手、演奏家が活動している分野であり、全部描けるものではないが、定義自体も特にないようなので、以下のように考えた。

・伝統的な邦楽や西洋クラシック以外の音楽
・レコード(SP、EP、LP)、CD、配信などで公衆が購入する音楽、歌唱

 日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この100年間を、本田美奈子さんの20年の音楽家人生を軸にしてたどることにする。

・1914年3月 松井須磨子「カチューシャの歌(復活唱歌)」
                  (28歳、東洋蓄音器)日本初のヒット曲
・1914年4月 宝塚少女歌劇団第1回公演(阪急の小林一三が創始)
・1917年   浅草オペラの誕生(~1923年)
・1918年5月 宝塚少女歌劇団初めて東京で公演(帝国劇場)
・1922年5月 三浦環「恋はやさしい野辺の花よ」発売
                  (38歳、日本蓄音器商会)
・1932年8月 東京宝塚劇場設立(小林一三社長)
・1937年      江利チエミ(1月生)  雪村いづみ(3月生)
                  美空ひばり(5月生)
・1949年8月 美空ひばり「河童ブギウギ」発売
                  (11歳、日本コロムビア)
・1951年2月 越路吹雪 ミュージカル「モルガンお雪」主演
                  (27歳、帝劇)
・1952年1月 江利チエミ「テネシー・ワルツ」
                  (15歳、キングレコード)
・1953年4月 雪村いづみ「思い出のワルツ」
                  (16歳、日本ビクター)
・1963年9月 江利チエミ 東宝初のブロードウェー・ミュージカル
                「マイ・フェア・レディ」主演(26歳、東京宝塚劇場)
・1964年7月 雪村いづみ ミュージカル
                「ノー・ストリングス」主演(27歳、芸術座)
・1967年   本田美奈子(7月生)

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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