日本がいまだバブル景気に浮かれていた1990年、1冊の本がアメリカで刊行された。タイトルは『A SHORT HISTORY OF FINANCIAL EUPHORIA』。「経済学の巨人」と称されたジョン・ケネス・ガルブレイスの著作である。翌年には『バブルの物語』として邦訳版も刊行され一気にベストセラーとなった。
古今東西で起きた金融バブルとその崩壊過程を描いた同書は、バブルを希求する人間の本質と、資本主義経済の根幹に迫ったものとしてその後も長く読み継がれてきた。
そして今、アメリカでも日本でも株価が乱高下し、経済の先行き不透明感が増している。はたして現在の経済状況はバブルなのか? だとすればその崩壊は迫っているのか? それを考える有効なヒントとするため、このたび電子書籍版が刊行された『バブルの物語』の内容を紹介する。第2回はバブルを生み出す群集心理について。

神々でさえ抗えない群衆心理の恐怖

 バブルを生み出す最大の原因の一つに、ガルブレイスは「投機的ムードの群集心理」をあげている。そして、その脅威について以下のように述べる。

「この群集心理を十分に理解するならば、そのような恵まれた人は災厄から救われることができる。しかし、この群集心理の圧力は非常に強いので、救われる人というのは、ほとんど不可避的な一般的ケースに対する例外でしかない。救われるためには、次の二つの強い力に抵抗しなくてはならない。
 第一に、熱病的な信念が広まると、誰しも自分も儲けてやろうという気になるものであるが、そうした強い私利に抵抗しなければならない。第二に、この熱病的な信念を強めるのに効果的な力となっている世論や一見すぐれた金融界の意見の圧力に抵抗しなければならない。
 これらの二つの強い力は、『群衆というものは、結構まともな個人を馬鹿者に変えてしまう』というシラーの言葉を証明するものであって、シラーはまた、こうした狂気に対しては『神々でさえ抗しがたい』と述べている。」

 ここで挙げられている「熱病的な信念を強めるのに効果的な力となっている世論や一見すぐれた金融界の意見の圧力」は、とくに厄介なものといえよう。バブルをバブルだと指摘すれば、さまざまなバッシングを受けることになるからだ。この点について、ガルブレイスは1929年の大恐慌を例に以下のように述べている。

「(バブルに対して)疑問や異論を表明する人は、高名な論者および金融界の意見によって非難されるのが常であるが、こうした非難も、陶酔的熱病に対する既得利益を強く擁護する役割を果たす。富の増大を支え確保する新しい有望な状況を異端者が理解しえないのは、彼が想像力に欠け、または頭が少々おかしいからだとか、異端者は何か悪い魂胆を持っているのではないか、などと思われる。
 1929年の冬、当時最も尊敬されていた銀行家で、連邦準備制度の生みの親の一人であったポール・M・ウォーバーグは、当時の『無軌道な投機』の馬鹿騒ぎに対して批判的な発言をした。投機が続けば、やがては悲惨な崩壊が来て、国は深刻な不況に直面するだろう、と述べたのである。
 彼のこの発言に対する反応は痛烈で、悪意に充ちたものであったと言ってよい。彼の見解は陳腐であるとか、彼は「アメリカの繁栄を窒息させ」ようとしているとか、彼自身は市場で売り手に回っているらしいとか言われたものだ。こうした反応には、反ユダヤ主義の影以上のものがあった。」

 叩かれたのはウォーバーグだけではない。

「これより後、1929年9月のことである。当時の傑物ロージャー・バブソンは、統計学、市場予測、経済学、神学、重力の法則などのさまざまな分野に関心を持つ人であったが、彼は市場の崩壊を特別に予見して、『大変なことになるかもしれない』と述べた。ダウ平均は60ないし80ポイント下がって、その結果、『工場は閉鎖され……人々は失業者として放り出され……悪循環がフルに作用して、深刻な経済不況が到来するであろう』と述べたのである。
 バブソンの予測は市場に激しい反落をもたらした。それに対する反応は、ウォーバーグに対する反応よりもきびしかった。『バロンズ』誌は、バブソンの過去の諸発言が『悪名高いほど不正確』であったことを知っている人なら誰しも彼の言うことをまじめに受け取るべきではない、と述べた。
 ニューヨーク株式取引所の大手であったホーンブロアー・ウィークス社はその顧客に対して、『有名な統計学者は市場の反落を御親切にも予想したが、そのためにわれわれが慌てふためいて株を売るようなことはない』旨を断乎として宣明した。
 イェール大学のアーヴィング・フィッシャー教授までが、バブソンに対するきびしい批判的な発言をした。フィッシャーは、指数を作ることについての先駆者であったし、その他の点でも当時の経済学者としては最も革新的な人であったのだ。フィッシャーの発言は、すべての人に対して、余計なことは言うな、熱病的な幻想にとりつかれている人々に暗黙の支持を与えよ、とする教訓であった。」

 新古典派経済学の大物であるフィッシャーは、当時「株価は永久的に高い高原状態と見てもよさそうな水準に達した」とまで述べた。この発言の直後に大暴落が起き、彼の輝かしい経済学の名声は大いに傷つくことになる。かのアイザック・ニュートンも、18世紀初頭に起きた有名な「南海バブル事件」で2万ポンドの損失を被っている。これほどの知性ある人物たちでさえ「熱狂」の魅力には抗えないのである。