常に最高のパフォーマンスを発揮したいと思っても、他人の評価を恐れて足がすくむときがあるだろう。はみ出したくないという願望や、嫌われたくないという恐怖心は、自分なりの人生を歩む自信を失わせる。そうした恐怖を乗り越えるには、自己認識を深めることが重要であり、そのためには「パーソナル・フィロソフィ」の策定が大切だと筆者はいう。自分だけの原則を定め、それに従って生きる方法を提示する。


 最高の状態で高いレベルのパフォーマンスを発揮したいと思っても、他人の評価を恐れて一歩を踏み出せないことがあるだろう。

 どんなときに、極度に不安を感じるだろうか。たとえば、大勢の人の前で話すために立ち上がる直前だろうか。大きな会議で手を上げようとしているときだろうか。あるいは単に、見知らぬ人たちがいる部屋を通り抜けようとするときだろうか。そのとき、自分が小さくなったように感じ、恐怖と緊張を覚えた理由は、あなたが社会から受け入れられないことを恐れていたからだ。

 他人の評価への恐怖心は、現代社会において、理不尽かつ不毛な強迫観念になっている。その悪影響の及ぶ先は、単にパフォーマンスにとどまらない。

 あなたらしさを形づくる、あなたの才能や信念、価値観に自分で目を向けなくなり、代わりに他人がどう思うか、あるいはどう思わないか、ばかり気にするようになれば、自分が持っているはずの可能性をみずから損なうことになる。相手にどう批判されるかを恐れるあまりに、安全な道ばかり取るようになる。あざ笑われたり、拒否されたりすることを恐れるようになる。

 異議を申し立てられると、すぐに自分の意見を引っ込めるようになる。結果をコントロールできないときは、みずからコミットしようとはしなくなる。自分が適任だと思わないから、昇進の機会があっても名乗りを上げない。

 残念ながら、他人の評価に対する恐怖心は、古代から変わらぬ脳を持つ、人間の条件の一つだ。

 社会的に認められたいと渇望するがゆえに、我々の先祖は用心深く、抜け目なく振る舞った。何千年も前、狩りの失敗のすべての責任が自分にあるとなると、部族の中での立場が危うくなる恐れがあったからだ。はみ出したくないという願望と、嫌われることへの身のすくむような恐怖が、望むような人生を生きようとする力を損うのである。

 だからこそ、私たちは心を鍛えて整える必要がある。犬がしっぽに振り回されないようにするためである。

 他人の評価への恐怖心に囚われていることを自覚した場合、ストレス反応を低減する方法がある

 ひとたび恐怖心に囚われていることに気づいたら、自信を醸成する言葉を唱えよう(たとえば、「私は人前で話すのが得意だ」「自分の力を信頼できるように、いままでこの仕事に力を注いできた」「素晴らしい話題をたくさん持っている」「この昇進への準備は万全だ」)。こうした言葉を自分に言い聞かせれば、他人の意見よりも、自分のスキルや能力に集中できるようになる。

 深呼吸するのもよい。そうすれば、生きるか死ぬかの危険に直面しているわけでないというシグナルが、脳に伝わる。

 だが、他人の評価への恐怖心を本気で克服したければ、自己認識をさらに深める必要がある。

 ほとんどの人は大まかな自己認識で人生を送っているし、多くの場合はそれで十分だ。何とか生きていける。しかし、他人の評価をそれほど恐れなくなるのと同時に、自己のベストも引き出したければ、自己認識をより強化して、いっそう深化させる必要がある。

 それにはまず、パーソナル・フィロソフィ(個人的な哲学)を発現させることから始めよう。具体的には、あなたの基本的信念や価値観を表す言葉かフレーズを策定するのだ。