前回、経済・社会システムの両面で政府介入を排し、市場原理を極力使おうとしたのが「市場主義1.0」であると述べた。その典型的ケースとして挙げられるのがサッチャーおよびレーガン政権時代の英米である。そこで今回は、サッチャーおよびレーガン政権下の英米両国の状況を振り返り、「市場主義1.0」が果たした歴史的意義を考えたい。
「市場主義1.0」=「新自由主義国家」
ケインズ型福祉国家の抜本的改革
1979年5月、英国ではマーガレット・サッチャーが首相となり、ケインズ型福祉国家の抜本的改革に着手する。いまでこそ英国は「新自由主義国家」の典型とされるが、第2次大戦直後は社会民主主義的な方向の政策が展開されていた。「揺りかごから墓場まで」といわれた福祉国家の建設は英国で始まったし、重要産業の国有化も進められた。完全雇用の維持を目指して、ケインズ主義的な総需要管理政策も積極的に行われていた。
しかし、こうした福祉重視、反景気循環的な政策は、経済・社会両面で国家依存を高め、低成長化とインフレの高進を併発する「スタグフレーション」を常態化させ、かえって国民生活水準の低下をもたらした。そうした状況を打破しようと、「サッチャー改革」は、伝統的ケインズ政策の否定による金融・財政の引き締めスタンスへの転換にはじまり、税制改革、国有企業の民営化、社会保障改革、金融市場改革と、非常に多岐にわたる文字通りの抜本改革をめざした。これにより、当初は景気の悪化、失業率の上昇がみられたものの、徐々に成長率は回復し、80年代後半期には失業率は低下に向かった。
一方、米国では1979年10月、カーター政権のもとで連邦準備委員会議長に選任されたポール・ボルカーが、金融政策面でのケインズ主義の否定に乗り出したことが「市場主義1.0」の嚆矢となった。ボルカー議長はインフレの抑制を目指して、政策目標を金利からマネーサプライのコントロールに変更したが、これが実質金利の急激な上昇をもたらして景気は後退に陥った。そうしたなかで1980年に大統領となったロナルド・レーガンは、ボルカーを支持すると同時に、自らも「ケインズ主義福祉国家」の解体に着手した。「小さな政府」をスローガンに、規制緩和の徹底、減税、予算削減、労働組合への攻撃など、新自由主義的な政策を大規模に行っていった。