〈3〉見誤った製品戦略──トップ層の無理解

 日本の半導体メーカー各社がDRAMを中心としてシェアを急速に拡大した1980年代には、国内のNEC、富士通、日立、東芝、沖などのコンピュータメーカーや電電公社(現NTT)、あるいは米国のIBM、HP、などが主なユーザーでした。これら業界大手向けのDRAMでは、そのコストも重要な要素ながら、それ以上に「性能や信頼性」がまず優先されました。このため、構造が複雑で製造プロセスも長い、いわば重装備のDRAMが作られ、日本メーカーの十八番となっていたのです。

 ところが、その後のパソコンやその他の電子機器の急速な普及に伴い、ユーザーは大手メーカーから小口ユーザーへと変わり、もっと身軽で低コストの軽装備のDRAMに対する要求が急拡大してきました。

 日本のメーカーはこのような市場に対応できなかったのに対し、DRAM専業メーカーだった米国のマイクロン社では、日本メーカーに比べて工程数が4割少ないプロセスで製品を製造したのです。製造工程が4割少なくなると、製造費用が約4割減少することに合わせ、同じ数量を生産するための設備投資が約4割少なくなり、コストで言えば3分の1(0.6×0.6=0.36)にできることを意味します(他の要素もあるのでそこまでの効果が得られるわけではありませんが)。

 こうして1990年代の半ば以降、日本の半導体メーカーはDRAMでの大幅なシェアの減少とマイクロ分野でのシェア獲得の失敗により、凋落傾向は決定的になりつつありました。

 そのとき日本半導体メーカーのトップが揃って打ち出した戦略が、「これからはSOCで行く」というものでした。

 SOCでは一般のロジック回路に加え、CPUなどの機能回路や、SRAMなどの記憶回路、さらに一部ではDRAMやアナログ回路までも混載されています。つまり、SOCの登場の裏には、設計技術と製造技術の進展に伴い、まとまった機能回路ブロックをIPコアとして利用できる環境が整ってきたことがあります。

 しかし考えて見ると、「SOCで行く」という主張は何かおかしく感じられるでしょう。なぜなら、SOCはあくまで設計手法や回路構成法に対する呼び名であって、DRAMやマイクロと言ったような具体的な製品に対する名称ではないからです。したがって、半導体関係者の間には、「SOCの重要性はわかっているけれど、ところでそのSOCで何を作るの?」という想いを当時、持った人も多かったのではないでしょうか。

 悪く言えば、窮地に陥ったトップの苦し紛れの言葉、あるいは実態をよく知らないトップが側近から進言を受けて飛び付いたキャッチフレーズに過ぎなかったと言えなくもありません。なぜなら、SOCそのものがロジックとSRAMなどのメモリ、さらにはDRAMやアナログ回路まで混載させるわけですから、設計と製造のコストはさらに上がらざるを得ないからです。

 ビジネス的視点から言えば、SOCを利用した、比較的高く売れ、ある程度の数量も出る製品を生み出すことが求められていたのです。