ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

津波襲来直前まで何人もの人影が校庭に
間一髪で生還した地域住民が目撃した大川小の姿

池上正樹 [ジャーナリスト]
【第10回】 2012年9月12日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

東日本大震災の大津波によって、児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。震災から1年5ヵ月が経過したが、なぜこれほどの児童・教職員が犠牲にならなければならなかったのか、今もまだ真実は明らかになっていない。

石巻市教育委員会が公表した報告書によると、児童たちは津波が来る5~10分前には、三角地帯に向けて避難を始めていたことになっていた。しかし私たちは、大津波が来る直前に大川小の校庭で何人かの人影を目撃したという地域の数少ない生還者たちに出会い、証言を得た。

 大川小学校の周囲には、県道を中心に140軒近い釜谷地区の集落があった。しかし、いまは大地に校舎の廃墟がポツンと佇むだけで、集落は夢の跡のように消えてしまった。

 その津波が来る直前まで集落にいた数少ない生還者の中に、学校の様子を目撃した地域の人たちもいる。

間一髪で大川小児童の甥と姪を救出!
津波襲来直前の学校を知る女性の証言

大川小周辺の地図
拡大画像表示

 小野寺あやさんは、当時小学5年生の長女、2年生の次女、1年生の長男を大川小へ通わせていた。震災当日は、妹に子どもたちを学校まで迎えに行ってもらったため、津波が来る前に間一髪、3人を学校から連れ出すことができた。今回は、その妹に代わって、小野寺さんに話を聞くことができた。

 「妹は、いつもなら仕事だったのに、その日に限って歯医者か何かで、仕事を休んでいたんです」

 その日たまたま、小野寺さんの妹は、おばあさんと一緒に、釜谷地区の県道から路地裏に入った(北上川の脇を平行に流れる)富士川の堤防近くの実家にいた。小野寺さんの自宅も、同じ釜谷地区にある。

 市内で仕事をしていた小野寺さんは、ラジオで「6メートルの津波が来る」と聞いて、妹に何度も電話した。ほどなく電話はつながって、「6メートルの津波が来るから、早く逃げろ!」と言った。それっきり、電話は通じなくなった。

 「お母さんがよく、“地震が来たら、学校を見に行って”って言っていたので、妹が走って見に行ってくれたみたいなんです。それが15時過ぎくらいでした」

 妹は学校で、津波で亡くなった同級生の子どもと話をした。そのときは、子どもたちも、校庭に並んでいたという。

 妹は、小野寺さんの子どもたちがどこにいるのか全然わからなかったため、3人の名前を呼んだ。すると、子どもたちは、ワーッと列の中から飛び出してきたという。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

池上正樹 [ジャーナリスト]

通信社などの勤務を経て、フリーのジャーナリストに。主に「心」や「街」を追いかける。1997年から日本の「ひきこもり」界隈を取材。東日本大震災直後、被災地に入り、ひきこもる人たちがどう行動したのかを調査。著書は『ひきこもる女性たち』(ベスト新書)、『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『下流中年』(SB新書/共著)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)など多数。TVやラジオにも多数出演。厚労省の全国KHJ家族会事業委員、東京都町田市「ひきこもり」ネットワーク専門部会委員なども務める。YAHOO!ニュース個人オーサー『僕の細道』

 


大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~

東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない「惨事」について、震災から1年経った今、これまで伏せられてきた“真実”がついに解き明かされようとしている。この連載では、大川小学校の“真実”を明らかにするとともに、子どもの命を守るためにあるべき安心・安全な学校の管理体制を考える。

「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~」

⇒バックナンバー一覧