「マネジメントとは、企業をはじめとする個々の組織の使命にとどまることなく、一人ひとりの人間、コミュニティ、社会に関わるものであり、一人ひとりの人間の位置づけ、役割、秩序に関わるものである」(上田惇生著『ドラッカー入門─万人のための帝王学を求めて』)
ドラッカーとは、「今日の転換期の到来を予告した現代社会最高の哲人」(ケネス・ボールディング)であると同時に、体系としてのマネジメントを確立しマネジメント手法のほとんどを生み出したマネジメントの父である。
第一次世界大戦後、ブルジョア資本主義とマルクス社会主義に代わりうるものがファシズム全体主義しかなかったときに、ドラッカーは、経済的存在、社会的存在、理念的存在としての組織に希望を託し、体系としてのマネジメントの確立へと向かった。
大英帝国の名宰相ウィンストン・チャーチルが絶賛した1939年のドラッカーの処女作『「経済人」の終わり』でいう経済人とは、経済を目的とし、経済のために生まれ、経済のために生き、経済のために死ぬというエコノミック・マン、すなわちエコノミック・アニマルを意味した。それは経済至上主義の終焉の宣言でもあった。
ドラッカーにとって、経済も経営も、社会的存在としての人間の幸せのための手段にすぎなかった。人を幸せにしない経営は、人にとって意味がないように、ドラッカーにとっても意味がなかった。
経済至上主義を超えるものを求めた現代社会の哲人ドラッカーが、他の経営学者の業績を待ち切れずに、マネジメント手法の開発に自らまい進したことには、そのような問題意識があったのである。
ロンドンで過ごした時代に雨宿りで飛び込んだ画廊で日本の水墨画の虜になったドラッカーが、人を大事にする日本の歴史と経営に学び、かつそれを応援したことにも、そのような事情があった。
「確かに企業の目的は、顧客を創造し、富を創造し、雇用を創出することにある。しかし、それらのことができるのは、企業そのものがコミュニティとなり、そこに働く一人ひとりの人間に働き甲斐と位置づけと役割を与え、経済的な存在であることを超えて社会的な存在となりえたときだけである」(『ドラッカー入門』)