米国は旧ソ連のアフガニスタン侵攻が敗北に終わり、その結果、ソ連が崩壊した例があるのに、ほぼ同じことを行って敗北した。旧ソ連の失敗に学ばなかったといっていい。

 旧ソ連がアフガニスタンに出兵したのは、同国の西に隣接するイランで1978年に起きたイスラム革命が波及し、29州中21州までがイスラムゲリラの支配地になったからだ。

 ソ連と友好関係にあったアフガニスタンの社会主義政権が崩壊すれば、イスラム教徒が多いソ連南部にイスラム主義が広がりかねないことを恐れたためだ。

 だがアフガン人は、19世紀から20世紀初頭にかけて、この地域を支配下に収めようとしたイギリスを相手に3次にわたる戦争を戦い、勝ち抜いた歴史を持つ。

 当時、英国は中央アジアに進出したロシア帝国がインドに野心を伸ばすことを警戒し先手を打ってアフガニスタンを勢力圏にしようとした。

 だが1839年にはインドから侵攻した英国軍1万6000人が全滅させられることになった。1878年に英国は再び出兵したが苦戦し、毎年補助金をアフガニスタンに供与して保護国とすることで面目を保って1881年に撤退した。1919年にはアフガニスタン側がインドに攻め込み、英軍は航空攻撃も行って対抗したが、結局はアフガニスタンの完全な独立を認めて停戦となった。

 アフガン人は12、3歳の少年期から常に銃を携え、集落や部族間の小競り合いが絶えず、村長たちは練達の小戦闘の指揮者だから天性のゲリラだといっていい。

 アフガニスタンは最盛期の大英帝国軍、さらには最大のソ連軍に勝利し、今回は米軍も撃退することになった。

米国の痛手少なくない
国際的な威信は低下

 米国の痛手は少なくはない。

 旧ソ連は第2次世界大戦で強大なドイツ軍と苦闘の末に撃破したことによる軍事的威信を背景に東欧を支配し、国内を統括していたが、アフガンゲリラに敗北し軍事的威信を失った。

 東欧諸国は離反し、国内の自治領は独立に向かい、民衆の共産党政権への敬意も消えて、結局はアフガン侵攻の失敗が崩壊につながった。

 米国がNATO諸国や日本などの同盟国の盟主となったのにも第2次世界大戦の勝利による軍事的威信が貢献したことは疑いないが、旧ソ連のように軍事力による威信だけが頼りではなく、巨大な金融機関やハイテクIT企業など経済の強み、メディアの世界的影響力もあるから、アフガニスタンでの敗北が米国に致命傷になることはないだろう。

 だが度重なる介入失敗の歴史は、米国の国際的威信や信用を傷つけてきただけでなく、経済や社会を疲弊させることになってきた。アフガン撤退はこの歴史に新たな威信低下を上塗りする。