価格×期待値ではすまない
忍び寄る会社員的忖度

 もちろん、実際の意思決定では、上記のような期待値と予算制約だけをもって組織の意思決定(発注先の決定)はなされない。ここに「会社員的忖度」が関係してくる。

 会社員的忖度とは、次の三つ、「意思決定者の嗜好(しこう」「失敗時の責任追及への予防線」「会社の空気」である。

1 意思決定者の嗜好
 組織の中枢にはいまだに結構高齢な人も多いから、その人が、「その道の権威」か「それなりの実績はあるが過去の人」しか知らない可能性はきわめて高い。旬の人はまず知らないし、ましてや将来有望な人など見当もつかない。かつ、選ばれる側である、「その道の権威」の中には、昔はともかく、現在はそもそも現役としての仕事はあまりしておらず、各界の重鎮である高齢者との交友のみを仕事とする「爺(じじい)殺し」の人がかなりいて、正式なコンペティションではなく、その交友ルートや情実ルートを通じて重要な仕事を獲得する者もいる。

 例えば、ときどき、上場有名企業などが、若い人を対象としたサービスや商品のCMであるにもかかわらず、なぜこの俳優が出ているのといぶかしく思うものを流したりする。それがまさに、組織の意思決定者のこうした交友ルートの産物である。つまり、予算も期待値もどこ吹く風で、結局組織の意思決定者が、自分のかわいがっている取り巻きとともに、「あの人に任せておけば、いつも間違いない」と時代遅れの人の起用を決めてしまうのだ。

2 失敗時の責任追及への予防線
 どんなに完璧と思われる状況で、どんなに確実な人に頼んでも失敗はありうる。そんなとき、名前のある人、名前のある会社にお願いして失敗した場合は、「仕方がない」ということになる。しかし、将来有望な人をうっかり起用して、失敗してしまったら、目もあてられない。私たちがオリンピックの開会式や閉会式について好き勝手を言ったように、ぼろくそに言われることは間違いない。しかもそれだけで済めばまだよいほうである。実際に売り上げが落ちたり、会社の株価が下がったりしたら「起用の失敗」では済まされない。

 旬の人の場合は、起用する際には、「大手有名企業のA社も、外資のB社も、あの人にお願いしています」ということで、社内的には案を通しやすいが、受注した旬の人は、そのA社やB社に対するのと(よくて)同程度のアウトプットをあてがわれる。ただ、発注側としては、「A社もB社も○○さんに頼んでいるのだし……」で通るので、失敗時のリスクヘッジとしては言い逃れしやすい。昔は有名だったが、今は過去の人であっても、意思決定者がそのような認識でなければごまかせるので、それなりの実績のある過去の人の場合も、上次第ではリスクヘッジになりうる。

3 会社の空気
 会社の空気として、攻めてよいときと、絶対に攻めてはいけないときがある。社内のモードである。これは時代、社会、消費者、いずれともあまり関係がない。攻めて良い雰囲気のときは、将来有望な人を大胆に使うこともあるだろう。しかし、攻めてはいけないときは、確実性こそが大事である。攻めてはいけないときというのは、たいてい、社内の資金も潤沢ではないため、それなりの実績はあるが、過去の人で安いギャランティの人のところに話が行くことが多いだろう。

 このような三つのパラメーターが働くため、重要な仕事のはずなのに、期待値と予算制約だけで仕事の発注先が決まらない。1、2、3全部が関わる場合、いずれかの一つの場合、二つの場合など、さまざまだが、予算~期待値にこの三つのパラメーターの微妙な合成が加わっておかしなことになり、外から見ると、「あんなに優秀な人が雁首そろえてバカな決断をしている」ように見えたり、「もっと他にいい人がいるのに見る目がないなあ」と言われたりするのである。誰も好き好んでバカな決断をしているわけではないのだ。

 組織という形態で仕事をする以上、会社員的忖度は決してなくならないと思うが、もしこの割合を大きく減らすことができれば――たとえば意思決定者を実務に近い人にまで下ろす、または、将来有望な人に必ず一定比率の発注を行い、その可能性を見極める――などといったことが行われるだけで、最終的な結果は大きく改善するだろう。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)