社会全体の「日本は負けない!」の絶叫で戦争へ

 アメリカ側が日本に要求していた、「中国からの完全撤兵」は陸軍としては絶対にのめなかった。日中戦争で約20万人の兵士を失い、国家予算の7割を注ぎ込んできたのに「手ぶら」で撤退すれば、陸軍内の責任問題に発展するだけではなく、陸軍そのものの存在も危ぶまれる大失態だ。そこに加えて、撤退という決断を下してしまうと、「戦争を望む国民」から政府や軍の幹部は壮絶な吊し上げにあって、本人や家族の命の危険もあった。

 よくドラマなどで、太平洋戦争の開戦が描かれると、「軍靴の音が聞こえる」的な暗い世相で、ヒロインなどは軍国主義に翻弄されながら嫌々戦争に巻き込まれていくようなストーリーも多い。しかし、これはこの時代の「常識」と大きくかけ離れている。

 当時、東京・四谷で生まれたばかりの赤ちゃんを育てていた女性は、真珠湾攻撃が成功したというニュースを受けて、個人の日記にこうつづっている。

『血わき、肉躍る思いに胸がいっぱいになる。この感激!一生忘れ得ぬだろう今日この日!爆弾など当たらないという気でいっぱいだ』(NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 1941 第1回 開戦(前編))

 この人は国粋主義者でもなんでもなく、当時のきわめてノーマルな国民感覚を持っている。実は多くの国民はこの当時、「アメリカに目にもの見せてやれ!」「なぜ戦争をしない!」と弱腰の政府や軍に不満を感じていた。そんな社会のムードを受けて、若い軍人たちもとにかく天皇陛下に早く開戦を決断していただきたいと「下」から突き上げていた。戦争の回避を主張することは「反日」であり、「国賊」だったのだ。

 政府や軍の幹部、そしてエリートたちが国力や資源という客観的データをもとに分析をした「日本は負ける」という結論が、社会全体の「日本は負けない!」の絶叫によって見事にかき消されてしまった結果が、対米戦争の開戦なのだ。

現場の危機意識を大事に…80年前に学ぶべき

 これは他の「負けパターン」にも見事に共通する。先ほどの東芝の部長もそうだが、自動車産業でも白物家電メーカーでも、鉄鋼でも造船でも、現場の最前線で指揮を執っているようなリーダーたちは早くから「このままでは日本は負ける」という危機意識を抱くケースが多い。

 しかし、いつの間にか沈黙をする。現場から離れたところにいる、専門家、評論家、そしてジャーナリストなどが、「日本は負けない」などと叫び始める。愛国心を刺激する主張なので、世論も支持しやすい。そして気がつけば、「負け」を口にするものは売国奴となって、「客観的なデータ」はないがしろにされ、数多の問題を先送りにしたまま「負け戦」に突っ込んでいく。こういうことを80年間繰り返してきた結果が、今の日本だ。

 冒頭で触れたようなニュースが多いからかもしれないが最近やたらと、「日本は負けない!」的な主張が増えてきた。今こそ80年前の「負けパターン」に学ぶべき時ではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)