21世紀の企業はグローバル化することによって<br />文明と文化の懸け橋となるダイヤモンド社刊
2520円(税込)

「今日では企業のマネジメントはグローバルに行われる。世界は、たとえ政治的には分かれていようとも、需要、欲求、価値の観点から見たとき、一つのショッピングセンターになった。そのため企業にとっては、国境を越え、生産資源、市場機会、人的資源を最適化すべく、自らをグローバル化することが、経済の実体に対する正常かつ必然的な対応となった」(ドラッカー名著集(13)『マネジメント─課題、責任、実践』[上])

 市場がグローバルになったために、あらゆる経済活動がグローバルに行なわれるようになり、かつ、企業そのものがグローバルな存在になった。一国の文化、慣習、法律にとらわれることなく、グローバル経済において成果を上げるべき存在となった。

 ところが、そのために、事態がおそろしく複雑になった。じつは、マネジメントは、それ自体が文化的な存在たるべきものである。しかもそのマネジメントが、それぞれの文化を生産的なものにするという役割を持つ。つまり、自らが文化でありつつ、文化の道具とならなければならない。

 マネジメントは、個人、コミュニティ、社会の価値、願望、伝統を生産的なものとしなければならない。もしマネジメントが、それぞれの国に特有の文化を生かすことに成功しなければ、世界の真の発展は望みえない。

 ここでドラッカーは、世界は日本に学ばなければならないという。ドラッカーに言わせれば、今世界は、世界的な規模において、明治維新の必要に直面している。

 コミュニティの伝統と独自の価値観を近代社会の成立に生かしたことこそ、他の非西欧諸国が近代化に失敗したなかにあって、日本だけが成功した原因だという。

 インドは、インドの西洋化を試みて失敗した。ペルシャはペルシャの西洋化を試み、ブルガリアはブルガリアの西洋化を試みて失敗した。しかし日本は、日本の西洋化を試みもしなかった。日本は、西洋の日本化を行なったために成功した。それが明治維新だった。

「つまるところマネジメントは、急激にグローバル化しつつある文明と、伝統、価値、信条、遺産となって現れる多様な文化との懸け橋にならなければならない。文化的な多様性が人類の繁栄の実現に資する上での道具とならなければならない」(『マネジメント』[上])