首都圏に住むこと自体が
「外部不経済」

 首都圏に人口が集中しているのは、首都圏が「住みやすい」からである。不動産価格が高く、通勤ラッシュも激しく、渋滞や騒音等々にも悩まされることもあるが、それを上回るメリットがあるから人は首都圏に住んでいるのだ。

 理由は人それぞれだろう。仕事を見つけやすかったり楽しいイベントが多く開催されたり友人知人が住んでいたり、といったところだろうか。国民には、好きな所に住む権利が憲法で保障されているわけだから、デメリットがメリットを上回ると考える人は首都圏には住まないはずなのである。

 首都圏に住むメリットを感じる人だけが住んでいるのなら、それは仕方がないことだ、という考え方もあろうが、筆者は二つの点で対策が必要だと考えている。一つは、人々が災害の際のリスクまで織り込んで居住地を決定しているのか否か、という問題であり、今ひとつは首都圏に住むこと自体が外部不経済だという問題である。

 人々の想像力は乏しいものであるから、災害時に何が起きるのかを事前に予想することは容易ではない。東日本大震災の際に初めて過密都市は災害に弱いということを認識した人も多いだろうし、それでもなお、上記のようなリスクにまで思いが及んでいない人も少なくないはずだ。

 さらに重要なのは、首都圏に住む人は全員が過密の被害者であると同時に“加害者”ともいえるのではないか、ということである。満員電車にへきえきとしている人は、自分が周囲の人にとって迷惑な存在だということに気づいていないかもしれない。首都圏の住宅事情の悪さを嘆いている人は、自分が出ていけば周囲の人の事態が改善するかもしれないということに気づいていないかもしれない。

 つまり、各自が「自分の受けるメリットとデメリットを比較して首都圏に住むか否かを決めると、首都圏の人口は適正水準を上回ってしまう」という考え方もできるのである。

 騒音等々を排出する公害企業が自社のコストと収益だけを考えて生産量を決めると、経済全体としての望ましい生産量よりも多く生産してしまう。そこで、そうした企業には「周囲の人に迷惑料を払っても生産することが利益になるならば生産を続けて良い」と言い渡すことが一つの選択肢となるわけだが、首都圏の過密問題も、それと同様に考えるべきではないだろうか。

 そうであれば、首都圏に住むメリットを減らすかデメリットを増やすかして、人々が首都圏に住みたいと思わないようにすることも一案である。そのための合理的な仕掛けとして、筆者は固定資産税の税率引き上げを提唱している。

 固定資産税率が引き上げられると、首都圏、特に都心近くの不動産は大幅な増税となるので、そこに住んでいる人(住居を構えている人およびオフィスを構えている法人)は、首都圏に住み続けることのデメリットが増えるわけであるから、地方圏に移住しようと考える人が出てくるはずである。

 そうなれば、首都圏の過密の解消と同時に地方の活性化にも資することになろう。