京都企業の血脈#18Photo:7maru/gettyimages

京都は、ものづくり技術に強みを持つ“グローバルニッチ企業”の集積地である。歴史的に京都にはチャレンジする土壌が備わっており、江戸時代から現代に至るまで独創性ある企業を誕生させてきた。ところが、京都の財界人が異口同音に述べるのは「1973年に日本電産を輩出したのを最後にベンチャー企業は生まれていない」ということ。この現状に行政も財界も手をこまねいているわけではなく、ベンチャー不毛の地に新風を吹き込もうとしている。特集『京都企業の血脈』(全18回)の最終回では、京都でベンチャーが途絶えた理由と、京都市が早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授をアドバイザーとして招聘した狙いを明らかにする。(ダイヤモンド編集部副編集長 浅島亮子)

京都は「日本のシリコンバレー」なのに
なぜ大型ベンチャーが育たないのか

 京都エリアが「日本のシリコンバレー」と評されるようになって久しい。ものづくり技術を強みにニッチ分野で高い世界シェアを持つ“グローバルニッチ企業”が京都に集積しているからだ。

 京都駅と大阪駅を結ぶJR京都線沿線には、村田製作所、日本電産、オムロン、三菱ロジスネクストといったグローバルカンパニーの本社が立ち並ぶ。さながら元・ベンチャー企業の中心地である。

 実は、京都におけるベンチャー企業の歴史は古い。もともと京都には、ベンチャースピリッツを生む土壌が備わっていたようだ。詳しくは後述するが、江戸時代初期に月桂冠を誕生させて以降、現代まで続く独創性ある企業をいくつも生んできた。

 第2次世界大戦後もオムロン、村田製作所、京セラなどがこぞって創業しベンチャーブームが訪れるものの、1973年に日本電産が産声を上げたのを最後に京都で大型ベンチャーは育っていない。

 この寂しい現状を打破しようと、京都市がてこ入れに乗り出した。起死回生の一手として、早稲田大学大学院教授の入山章栄氏を都市経営戦略アドバイザーとして招聘したのだ。

 次ページでは、京都でベンチャー企業が途絶えた根源的な理由について解説していこう。また、京都市が早稲田大学大学院の入山章栄教授をアドバイザーとして招聘した狙いとベンチャー復活の処方箋についても明らかにする。