弾圧されたプロテスタントがアメリカへ

増田 16世紀前半にイギリス国教会ができたことは、イギリスの社会に大きな影響を与えました。同じ時期に、カトリック教会の腐敗が批判され、ヨーロッパではルターやカルヴァンの宗教改革が行われていました。

池上 ルターは、金を出せば罪が赦されることはあり得ないと、カトリックの「贖宥状(しよくゆうじよう)」の販売を批判、信仰の拠り所を『聖書』に求め、カトリック教会の権威を否定しました。これまでギリシャ語またはラテン語しかなかった『新約聖書』をドイツ語に訳し、一般の信者が読めるようにしたんですね。

 カルヴァンは、ルターの影響を受け、宗教改革を進めるのですが、人が神によって救われるかどうかは、あらかじめ神によって予定されているという「予定説」を打ち出しました。これは厳しい考え方ですよね。いくら悔い改めても、死後に救われるかどうかは生まれたときに定められているというのですから。

 ルターの教えは「ルター派」として成立しますが、カルヴァンは新たな宗派をつくるつもりはなかったので、カルヴァン派という宗派は存在しません。カルヴァンの教えは「改革派」とされ、地域によって名称が異なりました。イギリスではピューリタン(清教徒)、スコットランドでは長老派などと呼ばれたのですね。

 イギリス国教会もプロテスタントに分類されますが、ピューリタンの影響が強まってくると、イギリス国教会は実質カトリックのためピューリタンを徹底して弾圧します。ピューリタンの人たちは、イギリスにいられなくなり、理想の国家の建設を目指して、アメリカに渡ったのです。

はじめてのインド系の首相

増田 エリザベス女王は、トラス前首相を任命してすぐに亡くなられましたが、トラス氏は在任期間最短の45日で辞任することになりました。そのあと首相になったのが、スナク氏です。

池上 スナク首相は資産が多いことでも注目されましたが、やはりなんといっても、白人ではなく、アジア系、それもインド系の人がはじめて首相になったという点ですよね。言わずもがな、かつてイギリスはインドを植民地支配していました。それがいまや、インド系の首相がイギリスを率いるわけです。劇的な変化を実感します。