看護師はなぜ病院に寿司職人を呼んだのか?

書影『部下全員が活躍する上司力5つのステップ』(株式会社FeelWorks)『部下全員が活躍する上司力5つのステップ』(株式会社FeelWorks)
前川孝雄 著

 私は、「仕事の目的」や「仕事のモチベーション(動機づけ)」に関する講演の際に、知り合いの看護師の話を紹介することがあります。

 彼女はある時、末期治療中のおじいさんを担当することになりました。おじいさんの余命は、もう幾ばくもありません。もって数週間。流動食も受け付けないほどに体が弱っていて、点滴で寝たきり状態でした。

 担当になって数日後、彼女はふとおじいさんに聞いてみました。「おじいちゃん、何か欲しいものある?」すると、おじいさんは声を振り絞ってこう答えました。「トロが、た、食べたい。」家族によると、おじいさんは元気な頃、寿司屋のカウンターでお寿司を食べるのが大好きだったといいます。

「もう一度、食べさせてあげたいけどねえ…」妻であるおばあさんは、悲しそうな目でつぶやきました。でも、点滴で寝たきりの末期患者を寿司屋に連れて行くわけにはいきません。また、出前を取ったとしても、そもそもおじいさんは食べ物を一切食べられないのです。彼女は悩みました。おじいさんの残り少ない人生の中で、何かこの人のためにできることはないかと、一生懸命考えました。

 そして、彼女はある決断をします。なんと、上司が病院にいない日を狙って、寿司職人を病院に呼んでしまったのです。彼女は交遊範囲が広く、友達に寿司屋の知り合いがいないか尋ねまわりました。そうして見つけた職人さんに、こっそり病院に来て寿司を握ってくれるよう頼んだのです。

 診察でおじいさんが病室を離れると、看護師仲間が廊下からバーッと机をベッドの脇に運びこみ、即席のカウンターが出来上がりました。おばあさんに車いすを押されて病室に戻ってきたおじいさんに彼女は言いました。「おじいちゃん、プレゼントがあるから、いいって言うまで目をつぶってて。」おじいさんが目を閉じて部屋に入ります。「はい、もういいよ。」おじいさんが目を開けると、ねじり鉢巻きをした職人さんが机越しに「へい旦那、何を握りますか」と笑顔で立っています。おじいさんだけの寿司屋が、そこにはあったのです。

 そして信じられないことが起こりました。流動食すら食べられなかったおじいさんが、なんとトロを二口も食べたのです! おじいさんは入院してから一度も見せたことのない笑顔になりました。それを見守るおばあさんは、涙を流しながら看護師さんの手を取って、「ありがとう、ありがとう」と何度も繰り返したと言います。

 彼女の取った行動は、病院の規則に照らせば正しくないかもしれません。末期患者への対応ルールやマニュアルに沿うなら、点滴状態の患者に生ものを食べさせるなど言語道断。責任問題になるかもしれません(だから、上司の不在日に敢行したのですが)。

 しかし、彼女は目の前にいる患者さんの願いに対してできること、すべきことを必死で考え、行動しました。規則やマニュアルではなく、仕事の本来の目的―彼女や看護師仲間にとっては、患者さんの人生の最後まで寄り添い、希望をかなえること―に立ち返り、共有し合い、課題を解決しようとした姿勢には、学ぶべきものがあるのではないでしょうか。