専門家ではない一般の方は、公開情報を追いかけるしかありませんが、『全部うそかもしれない』という考えを持って情報を見ることが大切です。どちらが勝っているか、負けているか、ということは現場を見てもいないのに判断できません。二つの「政治腐敗大国」が闘っているのですから、通常以上にうそをつき合っていると見るべきです。マスコミも「現場を確認していないので分かりません」という前提を伝えてから各ニュースを伝えるべきです。

 イギリスの秘密情報機関(MI6)のトップであるリチャード・ムーア長官が7月19日に「プーチン大統領は明らかに苦境にある」と公開の場で語りました。この立場の人がこのような発言をすることは通常ではあり得ません。プーチンを追い詰めたくて意図的に公言したのでしょう。これが英米のうそのつき方です。

ロシアから見た
ウクライナの「裏切りの歴史」

――独立や併合をめぐるロシアとウクライナの戦いは古く、その歴史は中世にまでさかのぼります。「ロシアから見ると、ウクライナはロシアを裏切り続けてきた」と書かれています。ロシアとウクライナは、長い歴史の中でどのように衝突してきたのでしょうか。

 両国は大陸の中で国境線を接しており、領土の取り合いが戦争の歴史を作ってきました。1740年頃の地図を見ると、隣り合っていたロシアとポーランドはしばしば戦争をしており、ポーランド側の一部にウクライナがありました。そして、リトアニアやポーランドがロシアを抑える存在でした。この頃はまだドイツは存在していないし、時代ごとにこの辺りの国境線はどんどん動いています。

 1870年代、日本の明治維新の頃に、イタリアやドイツが統一を果たしますが、その前は、ロシア帝国やポーランド王国がぶつかり合っており、やがて、オーストリア帝国も出てきました。ウクライナはロシアに取られたり、ポーランドに取られたり、自分たちだけで独立できる強い存在ではありませんでした。独立を果たしたのは最近のことです。

 1917年にロシアで2月革命が起こります。そして、ほころび始めたロシア帝国を見てウクライナは独立をもくろみました。レーニンがソビエト連邦の基礎を作ったように、ウクライナも「ウクライナ中央ラーダ(ウクライナ中央議会)」という政治的中枢機関を作ります。

 レーニンが率いた左派の一派ボリシェビキに対抗しながら、ウクライナ中央ラーダが独立を図ります。この時、第一次大戦でロシアはドイツと戦争しているのですが、ウクライナ中央ラーダはドイツとの間で、100万トンの穀物を提供する代わりに助けを求める闇取引をしました。その結果、革命を成功させたかったレーニンは邪魔されてしまった。これがウクライナの裏切りです。

 この後、ブレスト=リトフスクという講和条約が結ばれました。ロシアは、フィンランド、ポーランド、バルト三国、そしてウクライナを、ドイツに割譲することになりました。ロシアからすると「あの時ウクライナがドイツと組んだから自分たちは負けた」という恨みがあります。レーニン政府はウクライナに対して恨み骨髄なのです。

 後に、ロシア内戦(1918-1922)が起きて、赤軍(共産主義者)と白軍(保守派)が衝突しますが、この時もウクライナ政府はロシアを邪魔しました。

書影『プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲』『プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲』(集英社インターナショナル)

 当時、ウクライナはポーランドの子分のような存在で、ロシアはポーランドとウクライナを両方倒したいと考えていました。そうした中で、ポーランド・ソビエト戦争(1919~1921年)が起こり、ロシアの赤軍がポーランドに攻め込みますが、敗北してしまうのです。

 この失敗で、スターリンは左遷されて島流しにされました。ウクライナの裏切りに対するスターリンの怒りが、その後、ウクライナでの穀物の強制徴発による「ホロドモール」と呼ばれる大量虐殺につながりました。

 ロシアとウクライナの間には、こういう因縁の歴史がずっと続いてきました。今回も、ロシアは「またウクライナは欧米と組んで裏切ろうとしている」という目でウクライナを見ているのです。