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ニッポン 食の遺餐探訪

『巨人・大鵬・卵焼き』の時代から
卵焼きだけがずっと愛されてきた理由

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第4回】 2013年3月6日
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 幸せとはなんだろう? 小説を書いていると時々、そんなことを考える。

 人はいつ、どういう時に「幸せ」を感じるのだろうか。

 それは多分、なにか大きなことを成し遂げたとか、特別な体験をして感じるものではない。ほんの少し時間が経てばそれを忘れてしまうくらい些細なこと、歴史に比べればどうでもいいような日常の出来事のなかに、幸せというのはあるのだ。

 優れた物語にはそんな小さな日常の断片のようなものが丁寧にすくい上げられている……なかなか書けるものではないのだけれど。

 今の時代は〈幸せな暮らし〉というのがイメージしにくい時代である。一般論だけど情報が格段に増えたことで、個人の価値観も多様化した。だから、誰しもが幸せを感じるものというのはなかなかない。

 それこそ『巨人・大鵬・卵焼き』の時代には〈幸せな暮らし〉という言葉によって想起されるイメージには、ある程度の普遍性があったように思える。時が過ぎて、読売ジャイアンツの人気のピークはとっくに過ぎ去り、大鵬さんは先ほど亡くなった。

 それでも依然として最後の「卵焼き」だけは人気を保ち続けている。

卵焼き器

 卵焼きはもちろん日本独自の食べ物。その特殊性は際だっている。なんと言っても専用の道具で焼き上げる料理なんてそうはない。卵を焼く、という単一用途のために道具をこしらえてしまうなんて、世界広しといえども日本人くらいのものだ。

 四角い形状もユニークだ。西洋でもオムレツなど卵を使った料理はあるが、四角い料理はそうはない。元々、寿司種として用いられたからかもしれないし、折り詰めにして持ち帰らせるときに具合が良かったからかもしれないが、詳しい理由は定かではない。

 意外なことに歴史はそれほど古くはない。有名な落語『王子の狐』にも何度か登場するが、江戸時代の中期から後期にかけて成立した料理である。それでも江戸時代の卵は高級品、一般に普及したのはそれこそ鶏卵の価格が下がった『巨人・大鵬・卵焼き』の時代である。

 そんなわけで今回のテーマは『卵焼き器』であります。

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

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