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ニッポン 食の遺餐探訪

子どもの学費を稼ぐために元広告マンが脱サラ!?
不況に強い「麩」職人の知られざる秘密

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第2回】 2013年1月9日
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 偏見かも知れないが、麩というのは実に地味な存在だ。すき焼きや煮物に入っているが、主役を張ることはほとんどない。言い過ぎかも知れないけれど、なければないで誰も気づかないのではないだろうか。

 麩があまり好きではない、という友人はその理由を「金魚の餌みたいだ」からだと言った。

 「ふにゃふにゃとして歯ごたえもなにもない」

 だから知人から「西会津にすごい麩がある」という話を聞いたときは正直言って、それほど心動かされたわけではなかった。それでも僕が現地に足を運んだのは、その麩をつくっている職人が「元広告マン」であり、しかもその道に進んだ理由が「子どもを大学に通わせるための資金を稼ぐため」だと聞いたからだ。

丸十製麩本舗の車麩は、麩なんてふわふわした軽いもの……という先入観を良い意味で覆す歯ごたえがある

 先に言ってしまうとそこでつくられる麩はたしかに他所とはまったく違った。水で戻した麩をさっと揚げてから、煮込んだものを試食したのだが、麩なんてふわふわした軽いもの……という先入観を良い意味で覆す歯ごたえがあったのである。

 アメリカから来日した著名なフードライターも、その麩を興味深そうに食べていた。パンのような見た目だが、イーストを使って膨らませているわけではない。彼らから見ればそれは不思議な食べものに違いない。

 中国から伝来したという麩は、江戸の末期から明治期にかけて、日本各地で独特の製法や形が育まれたそうだ。調べていて意外だったのは、麩が現代の形になったのは、横浜にペリーがやってきて開港し、「精白小麦粉」が輸入された以降のことらしいということだ。もっと古くからあると勝手に思っていたが、外国からの影響をたくみに自分たちの文化としてきた日本らしい発達の仕方ともいえる。

 僕らが訪れたのは福島県、西会津にある丸十製麩。丸十製麩でつくっているのは焼麩のひとつである『車麩』である。

 その『歯ごたえのある麩』をつくっている職人、田崎充さんの話にはやはり、しっかりとした重さがあった。

「子どもを大学に行かせたい」
“高卒”ゆえの悔しさが原点に

福島県、西会津にある丸十製麩本舗

 福島県の山間に位置する西会津はのんびりとしたところだ。積雪量が多いことでも知られ、冬になるとあたりは白い雪にすっかり覆われてしまう。

 僕らが工場を訪れたのは11月の終わりで、外には細かい雪が降っていて、風はピリッとするほど冷たかった。そんな寒さとは対照的に、古い工場のなかは熱い空気に満ちている。中心で焚かれている炭火の熱さだ。

 工場の奥にある休憩所でお話を伺った。

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

「ニッポン 食の遺餐探訪」

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