震災2年で何も変わらない日本社会の構造
2013年、正月。耳に入ってくるのは、鳥の鳴き声と近くの通りを通過する自動車の音くらい。気温こそ低いけれども、陽の光は地面に真っ直ぐに差し込み、空も穏やかに見える。
もちろん、そこに漂う空気には味も香りもない。無理矢理に表現するならば、「田舎の草の匂いがかすかにする」とでも言うべきところだろうか。
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東京電力福島第1原発から4キロほど北西にある双葉厚生病院には、事前に確認してきた写真の配置そのままに置かれたストレッチャーやベンチ、懐中電灯や炊飯器があった。ただ、白く四角い袋だけは写真の様子と違っていた。あの日以来、風雨にさらされ続けるなかで、ビニール袋が劣化して破れたのだろうか。水に溶けたオムツのようなものが粉々になって周囲に散乱していた。
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双葉厚生病院では、原発爆発事故によって全入院患者136名の避難を求められ、移送中に4名が亡くなった。あの日から2年が経とうとしている。
もう2年なのか、「まだ」2年なのか――。
その風景が象徴するように、2年経って日本社会の大きく重い構造が変わったかというと、震災直後から何も変わってはおらず、むしろ、その「何も変わらなさ」自体を私たちは忘れ始めている。その一方で、相対的な弱者に最も大きい負荷としわ寄せが集まり続けて、例えば、震災関連死は増え続けるままだ。
震災から2年を迎えた現在、被災地・福島に転がる課題とは、いかなる課題なのだろうか。