34歳で刑事弁護士になった女性が語る「司法の歴史に残る判決」も勝ち取った型破り人生亀石倫子弁護士(12月7日、弁護士ドットコム撮影)
*本記事は弁護士ドットコムニュースからの転載です。

 きらびやかな東京の女子大生、制服必須の女性会社員、奮闘する女性弁護士…決まりきった型にはめられることが嫌だった。

 亀石倫子弁護士(49)を自由にしたのは、ロースクール時代に出会った刑事弁護の世界だ。「楽しすぎる」というその仕事に魅了され、司法の歴史に残る数々の判決を勝ち取った。

 弁護士生活15年。自分の型は、自分でつくる。「亀石倫子」にしかできない役割を全うすべく、離婚などの家事事件に取り組みながら、国を相手取る公共訴訟という新たな領域にも挑んでいる。

上京するも「何もみつけられなかった」

 2017年3月、最高裁大法廷で司法の歴史に残る判決が言い渡された。警察による令状なしのGPS捜査を違法と判断したもの(※1)だ。主任弁護人を務めた亀石弁護士はメディアの前に立ち、その名は一気に知れ渡った。その後もタトゥー彫り師医師法違反事件(※2)で逆転無罪判決を勝ち取るなど、刑事弁護人として活躍した。

 北海道小樽市出身。都会に憧れ、東京女子大学英米文学科に入学した。これまで出会ったことのない人たちに圧倒された。母親のベンツで登校する同級生、ネイティヴ並に英語を巧みに話す帰国子女――。「都会でやりたいことを何もみつけられない」と、卒業後はNTTドコモ北海道に総合職として入社した。

 ところが、会社では「なぜ」の連続だった。女性のみ着なければならない制服があった。「窓口に立つわけでもないのに」と疑問を抱いた。労働組合に全員加入すると説明された際は「絶対に入らなければいけないんですか?」と聞き、場の空気が凍った。始業前のラジオ体操は、業務前だからと参加しなかったら、怒られた。

 仕事自体は「おもしろかった」。マーケティングや配信などをする中で、どのようなコンテンツが求められているかを考える日々は楽しかった。しかし、常に不満があった。会社を辞めようにも、やりたいことがあるわけでもない。そんなときに夫に出会って結婚。約3年半勤めた会社を辞めて、夫がいる大阪で新たな人生を歩み始めた。

 未知の地で知り合いはいないが、時間だけはある。これから、どう生きていこう。自分に何ができるのだろう――。考え続けた。「自分にできることは地道に勉強すること。これからの人生を生きていくための時間とエネルギーの使い方をしよう」と思った。そんなある日、本屋のラックに置かれた司法試験受験予備校のパンフレットをみつけ、「これだ」と思った。

 2001年4月から予備校の通信制講座を始め、司法試験受験生となった。法律の勉強は未経験。ゼロからのスタートだった。