山口 お金は人間に錯覚をもたらす一方で、自らの限界も抱えていますよね。実はそのことについては、『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の後半でも触れています。たとえば、野球にはバットとボールが不可欠であるように、経済学者はお金というツールを使うことを大前提として話を展開します。だけど、現実の経済では、お金を介さずとも価値の交換によって成り立つケースがあります。

小幡 いわゆる「贈与経済」だね。

アイドルと同じで手が届かないからこそ思いが募る<br />お金がもたらす“無限の可能性”という錯覚

山口 そして、僕が考えるお金の限界とは、文脈を伝えられないことなんです。たとえば、同じく1000円の値段がついた本であっても、それぞれの本質的な価値には違いがあるはずです。それは、金額だけでは伝わらない。もっとも、それでいてお金はビジネスの偏差値となってきましたし、これまでは社会全体のKPIでもあったと僕は考えています。

小幡 そのKPIっていうのは、いったい何の略なの?

山口 ビジネス用語で、キー・パフォーマンス・インディケーター(重要業績評価指標)の略称です。ビジネスにおける目標達成の度合いを計るときなどに用います。

小幡 つまり、お金で達成度を計っていたということ?本当にそうかな?

山口 以前はそうだったけど、最近はちょっとズレてきているのではないかと思っているんです。これまでは、信用を毀損することで儲けている金融業者はあちこちにいました。信用を担保にお金を集めるわけです。たとえば、「1億円儲かる!」という本を書けば、それがベストセラーになって、本当に1億円儲けられるかもしれない。実際、かつてはそのような類の本がいっぱいありました。けれど、お金がKPIではなくなりつつある今は、それも通用しなくなってきた気がします。

小幡 要するに、それは信用の希薄化ということ?でも 本当はカネが指標であったことはなくて、指標であると言う現在の状態も錯覚じゃないかな。