しかし、そこにポイントがあります。一般的には無駄だと思われることに、全身全霊の熱量を注ぐこと。逆説的かもしれませんが、これは一種の、誰もが気軽に実行できる「社会への小さな反抗」なんですね。

 女性の社会進出が叫ばれる一方で、女性たちはいまだ社会に根強く残る「女性のあるべき姿」、役割の圧力に苦しめられることがあります。

 たとえば、恋愛や結婚をするべき、そのために美しくあるべき、等々、他にも多々あるでしょう。しかし、推しを応援するという行為は、誰かから求められてすることではなく、完全に自分の意志でやることです。

 歴史的に、周りから期待される役割に縛り付けられることが多かった女性たちは、「社会に期待されていないこと」を完全なる自分の意志で行う推し活に魅力を感じ、全身全霊を捧げるわけです。

「推し活」を通して求める
自由なコミュニケーション

『推しが武道館行ってくれたら死ぬ』のストーリーは、えりぴよとそのオタク仲間たちの会話をメインに進みます。いつも一緒に現場(ライブ会場などを指す)に入る「くまさ」は、小太りの中年男性であり、オタク仲間たちは性別も年齢もバラバラです。

「推し」という共通言語を持つことで、推し活をしなければ出会うことがなかった人たちと熱い絆で結ばれます。これも人々が推し活にハマるもう一つの理由です。

書影『武器としての漫画思考』『武器としての漫画思考』(PHP研究所)
保手濱彰人 著

 家庭、学校、職場などの決まりきった「社会」から飛び出して、自由にコミュニケーションを取ること。これも人々が推し活を通して求めていることなのです。

 SNSを通して推しのすばらしさを語り、同じ趣味の仲間とつながり、語り合うこと。これは「自分が自由に意見を言える場所」を手に入れるということであり、「社会に参画しているという実感」を生み出すわけです。

 人々が推し活を通して手に入れたいと願っている、これら2つの願望について考えると、推し活という文化の隆盛は必然であったと言えますし、また今後もさらに拡大、定着していくと断言しても過言ではないでしょう。