のと鉄道の中田哲也社長全線運休・収入ゼロ状態を経験した、のと鉄道の中田哲也社長 Photo by Wataya Miyatake

災害で鉄道が運行できなくなると、鉄道会社の収入は基本的にゼロ。何とかして復旧させないと、運転士や社員は路頭に迷ってしまう――。能登半島地震で被災した、のと鉄道は3カ月以上にわたる長期運休を余儀なくされた。23年6月に就任したばかりだった中田哲也・のと鉄道社長は、いかに鉄道復旧への合意を形成し、運行再開に導くことができたのだろうか。(乗り物ライター 宮武和多哉)

途切れたレール、ふさがったトンネル…
のと鉄道社長の頭をよぎった不安

 2024年1月1日に発生した能登半島地震で被災した、石川県能登半島を走る第3セクター鉄道、のと鉄道(七尾駅~穴水駅間、33.1km)は、3カ月以上にわたる長期運休を余儀なくされた。被災した鉄道を復旧するには、億単位の予算と膨大な人手、そして関連省庁との煩雑な交渉も必要となる。23年6月に就任したばかりだった中田哲也・のと鉄道社長は、いかに鉄道復旧への合意を形成し、運行再開に導くことができたのだろうか。4月6日の全線運行再開を控え、中田社長に話を伺った。

 地震が発生した1月1日午後4時10分、のと鉄道の線内では3編成の列車が運行中だった。中でも、多くのツアー客が乗車していた観光列車「のと里山里海号」は、七尾湾にほど近い能登中島駅で激震と大津波警報に見舞われた。

 乗客と乗員は速やかに避難所に移動できたものの、金沢方面に避難するバスが翌日に出るまで、寒さに震えながら一夜を過ごしたという。もちろん鉄道は、即座に全線で運行を停止。この日から最大で90日以上に及ぶ運休が始まった。

 中田社長は地震発生当時、本社から十数キロメートル離れた輪島市内の実家で正月を過ごしていたという。道路が寸断されたのもあってすぐには動けず、翌日に車で5時間かけて現場に到着し社長が目にした光景は、50カ所にも及ぶ鉄道設備の損傷をはじめとした、変わり果てた姿だった。その瞬間、社長の脳裏には、のと鉄道が存続できるのか、従業員50人の生活はどうなるのか、不安がよぎったという。

能登中島駅構内に停車する車両能登中島駅構内に停車する車両。観光列車「のと里山里海号」は、この駅に停車中に地震に見舞われた Photo by W.M.
地震によって大きく曲がった線路穴水駅構内にて。地震によって線路が大きく曲がっている 写真提供:のと鉄道