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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

フレディ・マーキュリーとモンセラ・カバリエ、
驚異のデュエット「BARCELONA」(1987年)

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第24回】 2013年4月5日
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本田美奈子さんがブライアン・メイ(クイーン)のプロデュースでシングル盤を発売したのは日本で1987年4月、英国では5月だった。この年、フレディ・マーキュリー(クイーン)は世界的なオペラ歌手モンセラ・カバリエ(ソプラノ)と共演し、その後のクラシカル・クロスオーバーの成長、「3大テノール」の登場など、オペラ歌手が大衆的な人気を獲得する端緒をつくっている。

 本田美奈子さんが、フレディ・マーキュリーとモンセラ・カバリエの共演(アルバム「バルセロナ」ポリドール、1988)について2003年8月に語っていることは連載第23回に書いた。もう一度引用しておこう。

「フレディのストロング・ボイス」(本田美奈子)

フレディ・マーキュリー、モンセラ・カバリエのCDアルバム「BARCELONA」(ポリドール、1988)の日本盤ジャケット裏表

 「フレディはクラシック音楽にもすごく興味を持っていたようで、オペラ歌手の方ともデュエットしているんですけど、フレディ自身は必ずしもクラシック風な発声法ではないんですよね。だけど体の使い方に関するテクニックはすばらしく、ものすごいストロング・ボイスだと思います。(略)クラシックの発声って、ほんとうに体全体を使って歌わないといけないんです。フレディの場合も同じで、体全体で絞って絞って、それでああいう張りのある声を出している。眠っているなにかを目覚めさせてくれるエネルギーっていうのは、そのあたりに秘密があるのかもしれませんね」(本田美奈子、「文藝」別冊『クイーン 伝説のチャンピオン』増補新版、河出書房新社、2011)

 クイーンを特集した雑誌なので、本田さんは具体的に語っていないが、この「オペラ歌手」がカバリエのことである。

 モンセラ・カバリエ(Montserrat Caballe 1933-)はスペイン・カタルーニャのバルセロナ出身。1960年代から世界のオペラハウスで歌う最高峰のソプラノ歌手である。2013年で80歳、すでに舞台には立っていないが、母校リセウ音楽院などのマスタークラスで現在も時おり指導しているそうだ。

 「モンセラート」という表記もあるが、ビデオを見ると、だれの発音もみな「モンセラ」と聴こえる。本稿では引用文献によってファーストネームの表記が混在することをご了解願いたい。

 70年代以降、多くのオペラやソロのレコードが発売されており、筆者も多数聴いている。バルセロナのリセウ音楽院を卒業後、スイスのバーゼル歌劇場、ドイツのブレーメン歌劇場の専属ソプラノ歌手として主にモーツァルト、R.シュトラウス、ワーグナーなどのドイツ・オペラを歌っていたが、60年代中葉からはイタリア・オペラを中心に欧米の歌劇場で活躍する。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


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日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

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