2024年はフランツ・カフカ(1883~1924)の没後100年、安部公房(1924~93)の生誕100年に当たる年だ。1924年3月7日に安部公房が東京で生まれ、6月3日にウィーン郊外のサナトリウム(当時の結核療養病院)でカフカが没した。両者は奇想天外で不条理な物語を紡いだことで世界中に知られ、多くの言語に翻訳されている。二人の傑出した芸術家のアニバーサリーイヤーを記念する出版や展覧会などを紹介しよう(文中敬称略)。※前回の「カフカ編」に続く「安部公房編」(コラムニスト 坪井賢一)

奇怪で不思議で神経を逆なでされる物語

 安部公房(1924~1993)の代表作の多くは、新潮文庫で現在も流通している。筆者は最初に文庫化された『他人の顔』以来、全て購入したのでよく覚えている。カタログから消えた作品もあるが、没後30年以上、文庫が18作も残っているのは驚異的だ。

安部公房安部公房 Photo:SANKEI

 生誕100年を記念して、新潮文庫で新刊が2点、2月と3月に刊行された。一つは『安部公房全集』第29巻(2000年)に収録されている未完の長編小説『飛ぶ男』、もう一冊は19歳の処女作や未刊行作などを含む初期短編集である。前者は残されたフロッピーディスクから発見された原稿だというから、最初と最後の作品の文庫化ということだ。

『飛ぶ男』は、1行目から空を飛ぶ男が現れる。安部公房の作品は、だいたいいきなりクライマックスから始まるので油断ならない。この遺作も唐突に始まる。

「ある夏の朝、たぶん四時五分ごろ、氷雨本町二丁目四番地の上空を人間そっくりの物体が南西方向に滑走していった」。これが1行目だ。「人間そっくり」どころではなく、パジャマ姿の男なのだが、「時速二、三キロ」で滑空している。気球より遅く空を直進している。奇想天外な物語の開始だ。

 この「飛ぶ男」の目撃者は3人いた。そのうちの一人、中学校教師の保根治(ほねおさむ)が主人公らしい。突然、空を飛ぶ男が保根に携帯で電話してくる。しかも、自分は保根の腹違いの弟で、親父に追われているという。この奇怪な闖入者に悩まされる保根は不眠症に悩まされることになる。

 奇怪で不思議で神経を逆なでされるような物語の設定は、いかにも安部公房だ。ほかの二人の目撃者の設定も尋常ではない。一人は29歳の独身女性で、飛ぶ男を見たショックで手元の空気銃を2度連射し、飛ぶ男を狙撃してしまう。空気銃だから軽傷だ。もう一人は腎臓疾患で利尿剤を服用し、ちょうど4時頃に目覚める反社会勢力の構成員である。