2024年はフランツ・カフカ(1883~1924)の没後100年、安部公房(1924~93)の生誕100年に当たる年だ。1924年3月7日に安部公房が東京で生まれ、6月3日にウィーン郊外のサナトリウム(当時の結核療養病院)でカフカが没した。両者は奇想天外で不条理な物語を紡いだことで世界中に知られ、多くの言語に翻訳されている。2人の傑出した芸術家のアニバーサリーイヤーを記念する出版や展覧会などを紹介しよう(文中敬称略)。【前後編の前編】(コラムニスト 坪井賢一)
カフカの代表作「変身」の“虫”の正体とは?
カフカの小説でもっとも知られているのは「変身」だろう。主人公の青年グレゴール・ザムザが目覚めると、「虫」に変身していた。読者は、1行目から唐突に不気味で不条理な物語に放り込まれる。この、虫の正体がよく分からない。分からないので妄想が膨らんで恐ろしい。筆者が初めて読んだのは中学1年の1966年、図書館で借りた本(翻訳は原田義人)だった。変身した虫の姿はこうだ。
「彼は甲殻のように固い背中を下にして横たわり、頭を少し上げると、何本もの弓形のすじにわかれてこんもりと盛り上がっている自分の茶色の腹が見えた。腹の盛り上がりの上には、かけぶとんがすっかりずり落ちそうになって、まだやっともちこたえていた。ふだんの大きさに比べると情けないくらいかぼそいたくさんの足が自分の眼の前にしょんぼりと光っていた」(カフカ、1960)
足がたくさんあって甲殻だとするとダンゴムシか。しかしダンゴムシはずんぐりして丸くなる。全く分からないので怖い。そういえば映画「エイリアン」(1979年)を見たときに思い出したのが、この「変身」だった。もしかしたらエイリアンの造形は、この影響を受けているのかもしれない。
それから時がたち2015年に多和田葉子による変身の新訳が出版され、虫の正体が分かった。多和田訳ではこう書かれている。
「寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた」(カフカ、2015)
多和田訳はドイツ語の語源を基に、虫が、奇怪で神聖で異次元の生き物だと教えてくれたのである。しかも、多和田訳の変身には「かわりみ」とルビが振られており、東欧の土俗的な様相も呈している。「へんしん」だと、筆者は虫(トノサマバッタ)に化ける仮面ライダーの「ヘンシーン!」を思い出してしまう。