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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

本田美奈子さんの歌謡曲時代(1985-87年)と
ロック時代(88-89年)は音楽史の大転換期

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第27回】 2013年5月31日
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本田美奈子さんがロックバンドMinako With Wild Catsを率いて活動した1988年、89年は、日本のポピュラー音楽史では大きな転換期にあたる。テレビの歌謡番組が軒並み不振に陥り、家族でテレビの音楽番組を視聴する時代が急に終わりを告げたのである。

 本田美奈子さんのシングル曲がヒットし、テレビの歌謡番組へ頻繁に出演していたのは85年後半から88年前半である。「テレビ歌謡曲の時代」が終幕に入った年にデビューし、幕が下りる直前にロックバンドへ向かったわけだ。85年から87年にかけては、テレビ雑誌の表紙にもたびたび登場している。

本田美奈子さんが表紙に登場した1985年から87年のテレビ雑誌。①「週刊テレビ番組」1985年7月20-26日号、東京ポスト、②「週刊テレビ番組」1987年8月1-7日号、東京ポスト、③「週刊TVガイド」1985年9月7-13日号、東京ニュース通信社、④「週刊TVガイド」1986年5月31日-6月6日号、東京ニュース通信社、⑤「週刊TVガイド」1987年2月28日-3月6日号、東京ニュース通信社、⑥「週刊TVガイド」1987年8月1-7日号、東京ニュース通信社、⑦「ザテレビジョン」1985年7月20日-26日号、角川書店、⑧「ザテレビジョン」1985年11月30日-12月6日号、角川書店、⑨「ザテレビジョン」1986年2月22-28日号、角川書店、⑩「ザテレビジョン」1986年7月5-11日号、角川書店、⑪「ザテレビジョン」1986年11月15-21日号、角川書店

 では、テレビの歌謡番組が低迷する88年、89年に何があったのだろうか。音楽の変化の前に、経済全体の状況をみておくことにしよう。

バブル経済下のCD普及

 85年9月22日の「G5プラザ合意」によって為替レートは一挙に円高水準となる。当時、1ドル=230円台から86年には150円台までかけ上がっている。円高になれば輸出製造業の採算が悪化し、波及して不況となる。現在、円安傾向で輸出製造業の利益が増えているが、これは逆のプロセスである。

 円高不況になることが予測されると、日本銀行はただちに短期金利(公定歩合)を下げた。86年後半に入ると、実は簡単に円高不況を乗り越えて、日本経済は景気上昇局面に入っていたのだが、その時点ではわからない。

 実質GDP成長率の推移をみると、85年度の4.8%から86年度には2.9%へ急落しているが、87年度は4.9%成長へもどり、88年度6.0%、89年度4.6%、90年度5.5%と、高い成長率を維持していた。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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