学びのキュレーターという第三の視点
自由大学という学校がある。学校といっても学校法人ではない。ここでは学びたい学びを企画構想し、それに必要な教授を様々な領域から連れてきて、全5回の講義へと組み立てる。それを「学びのキュレーション」という。その特徴は授業の構成を、従来の教授と学生の2者間関係から、教授-学生-キュレーターという3者間関係へと変革したことにある。
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学びのキュレーターは、自ら学びたい講義を熱意を持って企画し、それに必要な教授を様々な領域から探し出してきて、番組のように編成するプロデューサーのような存在だ。
ここでは教授はタレント、コンテンツ、リソースのようなものであり、むしろ講義をプログラムしているのはキュレーターなのだ。この考え方は教育の世界ではとても新しい。
・原宿の裏通りにある「IKI-BA(粋場)」
・代官山や目黒川からほど近い「みどり荘」
・廃校となった旧池尻中学校の校舎を再利用したメインキャンパス
写真提供:自由大学
自由大学方式においては、教授は大学教授である必要はない。学びたい内容について最も有用な知識と経験を持っている人が「教授」になる。
たとえば、建築家の坂口恭平さんが学びのキュレーターとして企画した「0円ハウス学」という講義では、多摩川河川敷などで実際に路上生活をしている人たちが「教授」としてやってきた。それは講義としては衝撃的な出来事でった。
受講者にも特別の資格は要らない。5回の講義で3万円程度の受講料を払えば誰でも参加できる。講義を受講しても単位や資格はもらえない。資格目当てではないのだ。純粋に学びたい学びがそこにあるから受講者は集う。
学びのキュレーターに必要とされる「問題設定力」
学びたい学びをキュレーションする企画屋、それは一体どういう人がなるのだろうか。求められる資質とか能力は何であろうか。自由大学学長の和泉里佳さんは、「最初は誰でもできると思ったけど、違った。学びのキュレーターにはちょっと違う才能が必要」と言う。自由大学ファウンダーの黒崎輝男さんと学長の和泉里佳さんのお二人の話から、学びのキュレーターの実像に迫るためのキーワードを抽出してみた。