顧客満足とともに従業員満足が必須になる <br />だが受け身ではない満足であるダイヤモンド社刊
1890円

「他の者が行うことについては満足もありうる。しかし、自らが行うことについては責任があるだけである。自らが行うことについては常に不満がなければならず、常によりよく行おうとする欲求がなければならない」(ドラッカー名著集(3)『現代の経営』[下])

 ドラッカーは、働く者から最高の仕事ぶりを引き出すには、いかなる動機づけが必要かを問う。通常、これに対する答えは、働く者の満足である。

 しかしドラッカーは、この答えはほとんど意味をなさないという。もし、働く者の満足がなんらかの意味を持つとしても、企業のニーズに応える動機づけとなりうるかはわからない。そもそも満足の中身が多様である。

 大過なく過ごせることで満足な者がいる。会社としては、そのような満足では困る。逆に、仕事で成果を上げ、世のため人のためとなり、自己実現しているがゆえに、満足な者がいる。両者の隔たりは大きい。

 同僚との人間関係における満足と、労働環境における満足とでは、動機づけにおいていずれが重要か。われわれは、それらのことについてほとんど知らない。知ることにあまり意味があるとも思われない。

 じつは、満足という受け身的な心理状況と動機づけという能動的な心理状況との関係は、一方通行に近いのである。もちろん、金銭的な報酬や労働条件において満足でなければ、動機づけは失われる。しかし、満足ならば何をしてくれるというのか。

 企業が行なうべきことは、満足度の顔色をうかがうことではなく、貢献の責任を要求することである。つまり従業員満足の真意は、責任を果たすことに伴う満足でなければならない。

 しかも、ドラッカーによれば、働く者が責任を欲するか欲しないかさえ関係ないという。責任とは、社会のために、組織のために、本人のために要求すべきものである。

 事実、成功している組織では、社長から新入社員まで、あらゆる者が責任を要求されている。

 「働く者に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。企業は働く者に対し、責任をもつよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにしなければならない」(『現代の経営』)