……ここまでを読みながら、森をブサヨとかカスとかゴミなどとネットに書き込む人は、また揚げ足取りが始まったと感じているだろう。認めるよ。確かにその要素はある。でもここで「指導」という言葉を(おそらくは無自覚に)口にしてしまう意識は、本質に繋がっている。これから始まる憲法改正という本質に。

かつては政治家が口にするだけで
問題視される雰囲気が確かにあった

 憲法改正は自民党の党是だ。つまり理念。結党の翌年である1956年には、早くも「憲法改正の必要と問題点」という中間報告をあげている。その後も「憲法改正大綱草案(試案)」(1972年)や「日本国憲法総括中間報告」(1982年)と続き、2000年には憲法改正調査会を設置した。

 その延長に新憲法草案がある。

 長く自民党の党是ではあったけれど、かつて憲法改正は、政治家が口にするだけで問題視されるような雰囲気は確かにあった。つまりタブーに近かった。それはそれで健全な状態とは言えない。もっと自由に議論されるべきだったとは思う。

 でもタブーになりかけていた理由はある。改正を口にする自民党政治家の本音は、武装放棄を謳った憲法9条(特に2項)を変える(もしくは削除する)ことに主眼があった。それは見え見え。そしてかつてこの国の多くの人は、(自衛隊は確かに存在しているけれど)9条は現状のままであるべきだとの思いがあった。9条を変えたいとの狙いが見え見えであるからこそ、それは議題にすべきではないとの反射が社会の底流として働いていた。

 でもそれも今はもう昔話。特にオウム事件以降、見えない敵の存在に怯えて集団化を進めてきたこの国は、北朝鮮や中国からの軍事的プレッシャーへの反発を燃料にしながら、この国も武力を行使して自分たちを守らねばならないとの意識に急激にスライドした。現状において安倍総理は参院選をにらみながら、まずは憲法改正要件を規定した96条を改正すべきと主張している。憲法を変えるためには、変えるための手続きを簡単にしなければならない。一見は論理的だ。でも本来であれば、憲法のどの部分にどのような不都合があるから変えようとの合意形成がまずあってから、改正のための手続きに不備があるかを考え、もし不備があることが明らかなら、現行憲法の規定に従って変える。この順番であるはずだ。