戦時補償を打ち切り国内債務不履行を強行

 その後、昭和21年10月19日には、「戦時補償特別措置法」が公布され、いわば政府に対する債権者である国民に対して、国側が負っている債務金額と同額の「戦時補償特別措置税」が賦課された(図表5)。これは、わが国の政府として、内国債の債務不履行は回避したものの、国内企業や国民に対して戦時中に約束した補償債務は履行しない、という形で部分的ながら国内債務不履行を事実上強行したものである。そしてこれも、国民の財産権の侵害を回避すべく、「国家による徴税権の行使」という形であった。 

 政府の戦時債務の不履行や、旧植民地・占領地における対外投資債権請求権の放棄等により、企業、ひいては民間金融機関の資産も傷み債務超過となった。このため同じ10月19日には、「金融機関再建整備法」および「企業再建整備法」も公布された。これを受け、民間金融機関等の経営再建・再編に向けての債務切り捨ての原資として第二封鎖預金が充当された(実施は昭和23年3月、図表6)。要するに、債務超過状態を解消するために、本来であれば国が国債を発行してでも調達すべき、民間金融機関に投入する公的資金を、国民の預金の切り捨てで賄ったのである。

 そして、財産税法の公布は、昭和21年11月12日であった。財産税の納付には、不動産等の現物納付が認められた一方で、先行して差し押さえられていた封鎖預金も充当された。

 以上が、「非連続的な国内債務調整」の典型例として、わが国が第二次大戦終戦直後に経験した厳しい債務調整の実情である。これらの事実から明らかになるのは、国債が国として負った借金である以上、国内でその大部分を引き受けているケースにおいて、財政運営が行き詰まった場合の最後の調整の痛みは、間違いなく国民に及ぶ、という点である。一国が債務残高の規模を永遠に増やし続けることはできない。「国債の大部分を国内で消化できていれば大丈夫」では決してないのだ。