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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

クラシック路線が軌道に乗った最後の1年
2004年の「ソプラノ・コンサート」14回

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第33回】 2013年8月23日
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2004年は本田美奈子さんの歌手活動、最後の1年となってしまった。ミュージカルやポップスのコンサートとともに、クラシカル・クロスオーバーのリサイタル(ソロ・コンサート)に14回出演している。表現力は磨き抜かれ、多様な発声法を獲得した歌唱技術は世界でもトップクラスに達していた。

愛知県幸田町「ソプラノ・コンサート」

 これまで、2004年3月4日の「ソプラノ・リサイタル」(東京文化会館)、12月の「クリスマス・コンサート」3回などを詳しく紹介したが、今回はまず、「ソプラノ」を謳った2度目の演奏会、愛知県幸田町で開催された「ソプラノ・コンサート」(2004年9月24日)をたずねてみよう。

幸田町民会館で開催された「本田美奈子ソプラノ・コンサート」のポスター
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 幸田町は愛知県の名古屋市と豊橋市の中間、やや豊橋市寄りで岡崎市の南側の町である。東海道本線が南北に走り、豊田市にも近く、自動車産業の工業集積地でもある。町の中央に位置する幸田町民会館つばさホールは400席の音楽ホールで、毎年コンサート、演劇、ミュージカルなど、多数のエンタテインメント事業を主催している。

 幸田町民会館統括マネージャーの藪田哲也さんが、名古屋市の音楽プロモーターから本田美奈子さんのコンサート開催をもちかけられたのは2004年1月のことだった。「もちろん、すぐにやると決めました」。内心、欣喜雀躍したことだろう。藪田さんは1970年生まれで、本田美奈子さんがデビューした85年は高校1年生である。テレビを通してよく覚えている。ほぼ同世代のアイドルだった。

 さらに、2000年以降はミュージカルもよく見ていた。藪田さんはすでに舞台制作のプロである。本田さんの出演作では、2003年11月に「十二夜」(帝国劇場)、2004年5月に「クラウディア」(日生劇場)、7月には演奏会形式の「レ・ミゼラブルinコンサート」(東京芸術劇場)を見ている。

 本田美奈子さんのマネジメント側から提出されたセットリスト(プログラム)はこうなっていた。

本田美奈子ソプラノ・コンサート
2004年9月24日(金)
18:30開場 19:00開演
幸田町民会館つばさホール

山田武彦(ピアノ)真部裕(ヴァイオリン)笠原あやの(チェロ)

 伴奏はピアノ・トリオで、ミニマムなクラシカル・スタイルだった。

第1部
器楽のみ
① アメイジング・グレイス
② 私のお父さん(プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」より)
③ 美しい夕暮れ(ドビュッシー)
④ シシリエンヌ(フォーレ)
⑤ ニュー・シネマ・パラダイス(モリコーネ)
⑥ グリーン・スリーブス
⑦ Time To Say Goodbye

第2部
器楽のみ
① メモリー(ウェバー「キャッツ」より)
② 踊り明かそう(F.ロウ「マイ・フェア・レディ」より)
③ 愛する我が家をはなれて(ジェリー・ボック「屋根の上のヴァイオリン弾き」より)
サンライズ・サンセット(ジェリー・ボック「屋根の上のヴァイオリン弾き」より)
⑤ ジュピター(ホルスト「惑星」より)

アンコール
① 新世界(ドボルザーク)

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


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日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

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