本田美奈子さんはデビュー20周年を迎えた2005年に永眠し、日本コロムビアが20周年を期して準備していた各種アルバムの計画は消えてしまった。プロデューサーの岡野博行さんと高杉敬二さんが構想していたのは、「ミュージカル・ナンバー集」、「クラシック第3弾」、「唱歌・童謡集」、そして「江利チエミ・美空ひばりカバー集」などだった。

クラシックへのきっかけは「故郷」

「ミュージカル・ナンバー集」の録音は2004年12月に始まっていた。入院する3週間前から2週間前のことである。「ララバイ」(「十二夜」)の録音は完成し、「命をあげよう」(「ミス・サイゴン」)と「On My Own」(「レ・ミゼラブル」)はピアノ伴奏によるテスト録音まで進んでいた。

 岡野さんによると、「クラシック第3弾」では「ある晴れた日に」(「蝶々夫人」)、「ハバネラ」(「カルメン」)、「女の愛と生涯」(シューマンの歌曲集)などを考えていたそうだ。シューマンは8曲で構成される連作歌曲集で、精細な表現力を要求されるが、38歳の本田美奈子さんにぴったりだったと思う。本当に残念。

 第3「唱歌・童謡集」の「童謡」が、連載第36回で紹介した中山晋平(1887-1952)らが量産した大正・昭和戦前の「童謡」である。当時、ラジオ放送の開始やレコードの普及により、一大ジャンルとして拡大した楽曲だ。唱歌と童謡は、聴いていても違いがわからないだろう。近代日本が欧化主義と国粋主義のあいだで揺れていた時代背景を理解する必要がある。

 本田美奈子さんは生前、3回のコンサートで唱歌と童謡を歌っている。

 日本コロムビアの岡野博行さんが初めて本田さんのライブを聴いたのは、2002年8月31日の演奏会だったが、岡野さんがいちばん驚き、心を揺さぶられた演奏は唱歌の「故郷」だった(連載第19回)

 記録に残っている演奏会で本田さんが唱歌と童謡を歌ったのは次のとおりである(曲目は唱歌・童謡のみ)。

★1999年11月3日(福井市)「東京シティ・フィル?ポップスINハーモニーホール(ハーモニーホールふくい)
出演・本田美奈子
指揮・宮川泰
管弦楽・東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

①「鎌倉」(1910)作詞・芳賀矢一、作曲者未詳 【文部省唱歌】

★2001年10月7日(収録8月31日、東京)「題名のない音楽会」(「四季と音楽・秋」)
出演・本田美奈子、錦織健(テノール)、宗次郎(オカリナ)
指揮・飯森範親
管弦楽・東京フィルハーモニー交響楽団

②「赤とんぼ」(1927)作詞・三木露風、作曲・山田耕筰【童謡】
③「里の秋」(1948)作詞・斎藤信夫、作曲・海沼實【童謡】
④「旅愁」(1907)作詞作曲・ジョン・オードウェイ(米)、訳詞・犬童球渓【唱歌】
⑤「紅葉」(1911)作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一【文部省唱歌】