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田岡俊次の戦略目からウロコ

日韓中の新たな火種・安重根の記念碑建立問題
歴史が示す「一方のテロリストは他方の英雄」

田岡俊次 [軍事ジャーナリスト]
【第15回】 2013年11月28日
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1909年に日本の初代総理大臣・伊藤博文を暗殺した韓国人、安重根(アン・ジュングン)の記念碑建立問題が、日・韓・中関係の新たな火種となっている。だが、テロほど見る立場によって評価が異なるものは多分ないだろう。安重根問題でも日韓双方が「一方のテロリストは他方の英雄」とのことわざを胸中にとどめ、苦笑しつつ対応するのが良策と考える。

 日本の初代総理大臣・伊藤博文を1909年に満州のハルビン(中国・黒竜江省)駅頭で暗殺した韓国人、安重根の記念碑を韓国が同駅に建てようとし、中国がそれを認める姿勢を示しているため、安重根問題は日・韓・中関係の新たな火種となっている。2001年9月11日の米国での大テロ事件の後には「テロは絶対悪」との論が拡がったが、その種の経験の多い欧州では以前から「一方のテロリストは他方の英雄」との俚諺(りげん)があった。この問題はまさにそのことわざ通りだ。

 韓国の朴槿恵大統領は11月18日、訪韓中の中国の楊潔チ(チの文字は竹かんむりに褫のつくり)外相と会談、安重根記念碑県建立が「両国の協力でうまく進んでいる」と謝意を表したことが報じられ、すでに工事も始まった様子だ。2006年にも韓国人がハルビンに安重根の銅像を建てたことがあったが、中国は「外国人の銅像は認められない」と撤去させるなど、対日関係への配慮を示していた。今回は「銅像がダメなら記念碑はどうか」と朴大統領が6月訪中時に要請、中国もそれを認めたもので、日中関係の不和が続く中、中韓が親密化する形勢を示している。

伊藤博文暗殺のナゾ

 安重根は両班(ヤンバン・士族)出身でカトリック教徒。韓国が日露戦争後、日本の保護国となって外交権を失ったことに憤慨して抗日運動に参加、敗れてウラジオストックに亡命した。伊藤博文は保護国となった韓国の初代統監となり、当初は「韓国の富強の実を認むるに至る迄」指導、育成につとめる方針で、併合には反対だった。だが、韓国の反日感情は強く、1907年韓国皇帝・高宗がオランダのハーグ平和会議に密使を送り日本の侵略を訴える事件も起きた。このため伊藤は高宗を退位させ、韓国軍を解散、高等官吏の任命は統監の同意を要する、とするなど内政も全面的に指導することとなり、一層反感が高まった。

 伊藤は1909年5月、韓国統監を辞し、枢密院議長に戻ったが、同年10月、ロシアのココツェフ蔵相と満州の鉄道権益調整問題で非公式会談をするため、当時なおロシアの支配下にあったハルビンに向かい、列車から降りたところプラットフォームにならんだロシア儀仗兵の隙間から腕を出した安重根の拳銃射撃を受け、間もなく死亡した。安重根は現場でロシア士官がとらえて日本側に引き渡し、翌年3月旅順で絞首刑に処された。

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田岡俊次 [軍事ジャーナリスト]

1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、編集委員、筑波大学客員教授などを歴任。動画サイト「デモクラTV」レギュラーコメンテーター。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』など著書多数。


田岡俊次の戦略目からウロコ

中国を始めとする新興国の台頭によって、世界の軍事・安全保障の枠組みは不安定な時期に入っている。日本を代表する軍事ジャーナリストの田岡氏が、独自の視点で、世に流布されている軍事・安全保障の常識を覆す。さらに、ビジネスにも役立つ戦略的思考法にも言及する。

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