ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

童謡作曲の第一人者は本居長世だった。
童謡アイドル本居3姉妹の登場

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第40回】 2013年11月29日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

文部省唱歌を主導した高野辰之も、ついに詩人の創作物としての童謡を評価するようになった。1919(大正8)年から29(昭和4年)年まで童謡の隆盛が続いたことを、これまで本田美奈子さんのレパートリーを中心に概観してきた。今回は童謡の全盛期をもっと詳しくみてみよう。童謡歌手が誕生し、コンサートで歌い、レコードを大量に出した時代だ。ポピュラー音楽光芒の一条である。

4大童謡雑誌の詩人と作曲家

連載第39回で童謡全盛期の主要な詩人と作曲家を月刊誌別に分類したが、時系列で補足して、さらに詳しくまとめるとこうなる。

 「赤い鳥」(赤い鳥社)
・1918(大正7)年7月創刊、1929年3月休刊、1931年1月復刊、1936年10月廃刊
・主宰者(編集長)
  鈴木三重吉(1882-1936)
・童謡詩編集者
  北原白秋(1885-1942)
・主な作曲家
  成田為三(1893-1945)
  草川信(1893-1948)
  弘田龍太郎(1892-1952)
  山田耕筰(1886-1965)

 1918年に登場した「赤い鳥」は北原白秋が詩の責任者で、毎号新作を書いている。作曲家のうち、山田耕筰は創刊当初に声をかけられて何曲か提供したが、大半は東京音楽学校の後輩である成田、草川、弘田などに回し、自身は1925年以降に童謡の作曲を増やしている。山田は「赤い鳥」以外にも、雑誌「童話」「コドモノクニ」などに曲を提供している。西條八十作詞、成田為三作曲「かなりや」(1919)で「赤い鳥」の童謡は有名になるが、西條は1922年に「童話」へ移る。

 「金の船」「金の星」(金の星社)
・1919(大正8)年11月キンノツノ社より創刊、1922年5月金の船社へ移管、6月「金の星」に改題、1923年1月より金の星社。1929年7月廃刊
・主宰者(編集長)
  斎藤佐次郎(1893-1983)
・童謡詩編集者
  野口雨情(1882-1945)
・主な作曲家
  本居長世(1885-1945)
  中山晋平(1887-1952)
  藤井清水(1889-1944)

 「赤い鳥」を追って斎藤佐次郎が創刊、斎藤は創刊当初、西條八十を詩の編集者として迎えようとしたが、西條は旧知の野口雨情を紹介する。作曲は中山晋平に依頼し、1年間で数曲提供したものの、芸術座から離れて小学校の教員をつとめており、ペンネームだったのだそうだ。晋平は斎藤に東京音楽学校の2歳上ですでに教官だった本居長世を紹介する。雨情・長世の作品が毎月掲載されるようになったのは1920年初頭からだ。晋平は1924年ごろから作品を増やしている。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

⇒バックナンバー一覧