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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

文部省唱歌に対抗した童謡の1920年代に
流行歌以上に流行した「赤い鳥」「金の船」の作品

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第39回】 2013年11月15日
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本田美奈子さんがレパートリーとして歌った童謡は、記録と記憶に残っているもので3曲ある。「赤とんぼ」(作詞・三木露風、作曲・山田耕筰、1927)、「里の秋」(作詞・斎藤信夫、作曲・海沼實、1948)、「十五夜お月さん」(作詞・野口雨情、作曲・本居長世、1920)だ。「赤とんぼ」と「里の秋」は「題名のない音楽会」で歌った。「十五夜お月さん」はおそらくNHKで放送されたと思うが、記録はない。筆者はテレビで本田さんが歌うのをたしかに見た。情感豊かな歌唱だった。童謡というより大人の女性の歌曲になっていたけれど。

「こころざしをはたして~」高野辰之の履歴書

東京藝術大学附属図書館「高野辰之展」(2013年11月16日まで)図録の表紙、及び東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「五線譜に描いた夢――日本近代音楽の150年」展(2013年12月23日まで)の図録表紙。前者は芸大附属図書館に所蔵されている高野の資料を展示。後者はかなり大規模なもので、明治学院大学図書館附属日本近代音楽館の所蔵資料を中心に展示されている。唱歌や童謡の歴史もビデオなどを通じてわかりやすく説明されている。全体にはクラシックが中心。音源もそろっており、自由に聴くことができる

 「十五夜お月さん 御機嫌さん~」で始まる「十五夜お月さん」の作詞者・野口雨情(1882-1945)、作曲者・本居長世(1885-1945)は童話・童謡月刊誌「金の船」(のちに「金の星」)を舞台に多くの童謡を発表している。雨情は「金の船」(「金の星」)の編集者でもあった。

 島村抱月と松井須磨子の死後、1919年春に解散した芸術座を出て、中山晋平は小学校の教員をつとめながら作曲家として世に出ていくことになる。

 童謡の物語へ入る前に、まず前回の補足から始めよう。

 文部省唱歌の編集に大きな役割を果たし、「故郷」の作詞で有名な高野辰之の経歴について、前回次のように書いた。

 高野辰之(1876-1947)は長野県永田村(現在は中野市豊田)の出身で、長野県尋常師範学校を卒業後、教員を経て上京、東大の国文学者、上田萬年に師事する。1902年に文部省国語教科書編纂委員、08年に東京音楽学校邦楽調査係、09年に文部省唱歌教科書編纂委員、10年に東京音楽学校教授となる(連載第38回

 「『上田萬年に師事』とあるが、これは私的に師事したのか」という趣旨の質問を読者から受けた。重要な人物なので、もう少し補足しよう。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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