本書の中で哲人は、こんな話をしています。

哲人 いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。

青年 わたしがどうであるか?

哲人 そう。もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然です。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。そこに映る世界は強烈にまぶしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。再びサングラスがほしくなるかもしれません。それでもなお、サングラスを外すことができるか。世界を直視することができるか。あなたにその“勇気”があるか、です。

青年 勇気?

哲人 ええ、これは“勇気”の問題です。

 人は誰しも客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいる。それがアドラーの考え方です。つまり、たとえば過去のつらい出来事に対しても「なにがあったか」が問題なのではなく、「どう解釈するか」が問題なのだと考えます。ニーチェ的にいえば「客観的な事実など存在せず、主観的な解釈のみが存在している」とすることもできるでしょう。

 この発想は、アドラー心理学の大きな特徴である「目的論」という考えのなかで、より鮮明になります。

 たとえば、自室にずっと引きこもっている人がいたとき、フロイト的な発想では「不安だから、引きこもっている」というように考え、「両親に虐待を受け、愛情を知らないまま育った。だから他者と交わるのが怖いのだ」と結論づけるなど、その人が引きこもるに至った「原因」に注目します(原因論)。