原発が生む国益と
危険性との比較

再稼働説を支える3つの神話と1つの真実<br />――八田達夫・大阪大学招聘教授はった・たつお
1943生まれ。経済学博士(ジョンズ・ホプキンス大学)。専門は公共経済学。国際基督教大学教養学部卒。オハイオ州立大助教授、 ジョンズ・ホプキンス大教授、大阪大学教授、東京大学教授、国際基督教大学教授、政策大学院大学学長を経て、大阪大学招聘教授
Photo by Masato Kato

 原発が再稼働されなければ、国益が損なわれると指摘されてきた。この指摘は、多少安全を犠牲にしても、それらの国益を守る為に再稼働を認めるべきだという無言の圧力を政治にかけてきた。

 事実、原子炉の安全性さえ確認されれば、原発事故後の安全を担保する避難計画はなくとも、原発は再稼働されることになっている。しかし日本の原発の物理的安全性に関する規制水準は世界最高水準だといわれながら、柏崎原発で設置されるフィルターベントは有機ヨウ素も希ガスも除去できない(ただし大飯3号4号では有機ヨウ素は除去できる)。さらにはフランスで建設中の原発に設置されているメルトダウン燃料の受け皿の設置義務は日本の原発にはない。

 一方、避難計画の策定は原発から30キロ圏内の市町村に任されているが、一定時間内に全住民の避難を義務づける規制はない。このため、全電源喪失した際には、放射能汚染が、30キロ地点に汚染が到達するのに数時間もかからない可能性があるにもかかわらず、たとえば柏崎原発では、すべての道路が使えたとしても道路が混雑するため30キロ圏内全住民の避難には30時間かかると指摘されている。

 大地震が道路を破壊するのを我々は何度も見てきたが、そのような場合に避難にかかる時間は想像を超える。事故が起きたときに、汚染地域にどの行政担当者を誰が命じて行かせるかについての法律もシステムもない。

 明らかに、国益を守るために、安全性はある程度は犠牲にされているのだ。