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かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

レコード歌謡曲の競争にテイチクが参戦
藤山一郎、古賀政男「東京ラプソディ」への道

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第48回】 2014年4月4日
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 今から21年前、1993年7月1日に「『TOKYO』~都政50周年記念アルバム~」がBMGビクターから発売された。鈴木俊一・東京都知事の時代に、東京を主題にしたポップスを集めた新録音のアルバムを制作したのだそうだ。もちろん東京都の予算による。歴史的な楽曲が4曲、新たに作られた曲が6曲、計10曲が収録されている。この中に本田美奈子さんが歌う「I LOVE TOKYO」が入っていた(文中敬称略)。

「東京ラプソディ」から本田美奈子まで収録したアルバム

「『TOKYO』~都政50周年記念アルバム~」 (BMGビクター、1993)のジャケット。現在は廃盤。「I LOVE TOKYO」はこのCD以外には収録されていない

 CDのリーフレットにはこう記載されている。

 「(略)このアルバムの企画にあたりましては、『都民の歌制作検討委員会』からの貴重なご提言をいただきました。東京都」。

 都民の歌制作検討委員会のメンバーは9人。

座長  丹羽正明(音楽評論家)
副座長 本多俊夫(音楽評論家)
委員  如月小春(劇作家)
委員  小林亜星(作詞作曲家)
委員  鈴木道子(音楽評論家)
委員  服部克久(作曲家)
委員  宮川泰(作曲家)
委員  湯川れい子(作詞家・音楽評論家)
委員  宮崎哲夫(東京都)

 座長の丹羽正明はクラシックの音楽評論家、副座長の本多俊夫はジャズ評論家である。作曲家の服部克久と宮川泰は、本田美奈子さんを招いたコンサートで何度も共演していることはこれまで書いてきたとおりである。

 当時の新聞を拾い読みしてみよう。

 「十曲のうち六曲は、服部克久氏ら制作検討委の委員らが作った。東京の地名を織り込んだ『東京マップラップ』のような曲もある。四曲は『なじみ深いことを条件に音楽的に水準が高い曲を選んだ』という。歌手についてもミュージカルで活躍するロックの本田美奈子さんからオペラの佐藤しのぶさんまで、さまざまな年代の都民が親しめるように配慮したという」(「朝日新聞」1993年6月9日付)。

 「ミュージカルで活躍するロックの本田美奈子さん」という形容が面白い。1993年6-7月といえば、「ミス・サイゴン」の初日から1年2ヵ月経過しており、本田さんの評価がどんどん上がっていった時期である。ミュージカル・スターとして知られるようになっていたが、88-89年には女性ロックバンドWild Catsを率いていたので、ロックシンガーの印象も強かったのだろう。

 記者というか、リスナーの混乱ぶりもよくわかる。現在ならば「クラシックも歌うミュージカル女優」と言われそうだが、93年当時「ミュージカルに出演するロック歌手」と新聞に書かれても違和感はなかったわけだ。

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坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

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