低コスト生産の魅力が減退する中国。現地に進出する日本企業なら一度は撤退を考えたことはあるだろう。だが、現実を知って愕然とする。「撤退したくとも撤退できない」からだ。
撤退コストを算盤で弾けばざっと1億円、董事会(取締役会に相当)もなかなか首を縦に振らなければ、手続き関係もややこしい。中国の動画サイトでは、日本人経営者が中国人の工員に吊るし上げられ、土下座して謝っているシーンが流れる。となれば、結論はこうなる。
「じっとしているのが一番だ」―――。
だが、「ここに居続けていいのだろうか」という思いも払拭できない。中国はもはや低コスト生産の適地でもなければ、ハングリーな労働者が集まる拠点でもなくなった。日本の、とりわけヒト・モノ・カネにも限度がある中小の製造業にとっては、これ以上赤字を垂れ流している場合ではない。では、どうしたらいいのだろうか。
本連載第147回「中国でのビジネスは“潮時” 引き際でも悶絶する日系企業」を読まれた読者の方から、1通のメールをいただいた。メールの主は撤退に成功した日本人経営者だ。そこにはこう書かれていた。「中国からの撤退には秘策があります」――。筆者は早速、この人物を訪ねた。なお、匿名を希望されているため、ここではA社長と呼ぶことにする。
物は盗む、仕事はしない…
撤退の動機は「我慢の限界」
首都圏で自動車部品の製造を手掛けるA社長の会社B社が中国に単独出資で進出したのは2001年にことだった。13年前、中国は「世界の工場」として脚光を浴びつつあった。4000万円を投じて、2000坪の土地を購入、そこに工場建屋を建築した。安価な人件費で製品を加工し日本に輸出、そこから欧米に販売するモデルは、この中国沿海部を舞台に急速に発展し、売上もうなぎのぼりに上昇した。
B社はいわば日本の町工場に過ぎないが、それだけに身軽さがあった。A社長は自ら現地に乗り込み、代表権のある董事長となり、すべての株を掌握する形を取ることでスピーディな事業展開を可能にした。従業員もピーク時には85人を抱え、「このまま行けば長者番付に名前が出るかも」、そんな本気ともつかない冗談すら出るほど、現場は好回転した。